子どもへの言葉がけは試行錯誤の連続

出産の予定もない、結婚の予定もない、甥姪もいるわけでもない20代前半にしては、子育てに一家言ある方だと思う。

子どもに対して、「なんで泣くの!泣き止みなさい!」みたいなことを言うと、子どもは、自分の感情を抑えることを覚える。感情を認識して、自分で受け止め、処理することができずに育ってしまうのだという。

なるほど、それは大事かも。
学童保育で働いていたときに、こんなことがあった。

小学2年生の、しっかりものの女の子Aちゃんが、「せんせい~」と私の方に来た。口がへの字になっていて、なんだか、へそを曲げたような、それでいて悲しそうな顔だった。

私は椅子に座っていて、その子は私の膝の上に乗った。
あら、めずらしい。その子はたまに甘えてくるけれど、いつも、「せんせいあ~でねこうでね○○ちゃんがね~!」と訴えてくるタイプ。

このときばかりは違ったらしい。

そして、ぽつぽつと話し始めた。「あのね、Bちゃんがね、A(その子自身の名前)がそれはルールと違うよって言ったのに、聞いてくれないの。」

要するに、遊んでいる最中に、ルールに従わない子に注意したのに、その子は開き直って聞いてくれない、というわけ。

私は、なんと言ってあげればいいんだろうと、必死に頭を巡らせながらその子の話を聞いていた。

話に出てきた「Bちゃん」は、このAちゃんに並ぶ、小2のメンバーの中の姉御肌。体格もよく、声が大きい。正義感があって周りの世話をする気まんまんな一方で、ちょっと自分に都合が悪いことは無視しがち。鶴の一声的に、相手を丸め込むところがある。

対してAちゃんは、周りの世話をするというよりは、みんなでルールを守ろう、というタイプ。リーダーシップをとるというよりは、管理役で、Bちゃんが暴走しすぎないようにする、みたいな。AちゃんとBちゃんとは、同じくらい気が強い。

AちゃんとBちゃん、いつも二人の間のバランサーになって「まあまあ」と仲裁役をするCちゃんの3人で遊んでいることが多かった。
しょっちゅうぶつかりながらも、仲良くやっている。よく仲裁役のCちゃんも、「あの二人が言い合ってるのー!つかれた!」と言いに来ていた。

それにしても、Aちゃんが一人で場を離れてくるのはめずらしかった。
たいてい、Bちゃんと面と向かって言い合っているか、Bちゃんと一緒に、「せんせいあのねーAがね言ったのにBちゃんね、」「ちがうよあのね、Aちゃんがね」などと訴えてくるのが常。

どう声をかけたものか。確かに話を聞いていると、Bちゃんが暴走している。
きっと、自分自分!状態で、Aちゃんの忠告も聞かないのだろう。しかし、そこに私が行ったところで、Bちゃんは聞く耳を持たなさそうだなあ、、

大人が介入した方がいいポイントかどうかは、常に迷うところだ。ヘルプが必要な場合もあるけれど、できれば子ども同士で解決を促した方が、のちのためになることもある。

そして私は話を聞いていた。いつもより話し方はスローだったけれど、Aちゃんは「こーであーでこんなことがあったのに、Bちゃんはこうだっていうの。」といつも通り、あったことを子細に話していた。

私は、「そっかあ。Aちゃんはこう思ったから、Bちゃんにこうしてほしかったんだもんね。それなのに、~って言われたら悲しいよね。」と返してみた。

Bちゃんは、「うん。」と言って黙り込み、ちょっと虚空を見つめていた。
うーん、あとは何と言ったものか。この子はどうしたいのかな。
あの子たちと離れて遊ぶもよし、また向かうもよし。

すると、その子はすくっと立ち上がった。「先生、A(彼女自身の名前)、Bちゃんたちのところ行ってくる!」

おお。立ち直り早い、というか、明らかに表情が、吹っ切れていた。
そのあっという間の出来事に驚いているうちに、AちゃんはBちゃんたちのところへ。


ちょっと遠巻きに見ていると、Aちゃんが、「Bちゃんさっきはごめんねー!」とはっきり元気な声でいいながら、BちゃんとCちゃんのところに再び混ざっていた。Aちゃんも、「ううんいいよ。Bもさっきはごめんね。」Cちゃん「今ね、~してたんだよ。Aちゃん、~の役する?」と言う声が聞こえた。

急転直下のかいけつ〜〜〜〜。

子どもって、すごいなあ。
このくらい後腐れなく、切り替えられる大人に私もなりたいものだよ、と思う。

このときの場合、自分ではあまり意識していなかったんだけれど、客観的にその子の状況と感情を言葉に表してあげたのはよかったようだ。

そこで、「気にしないの!いつも同じことでケンカしてるでしょ!」とAちゃんの感情を否定したり、無下にしてしまったら、あんなにサクッと切り替わらなかったのかも。

どうしても、先生=大人=人生の先輩、金言を与えなければ!みたいな考えがあったけれど、そんなのは私の勝手な考えであった。

学ばせようとしなくても、子どもは日々学んでいるのだ。

同僚の先生の対応を見ると、初めは言葉でその子の状況を返してあげるが(特に今回のように悲しそうなときは)、AちゃんとBちゃんの言い合いは日常茶飯事なので、「こっちに来て遊びな。いっつも一緒にいなくてもいいんだから。たまには距離とることも大事。」というアドバイスをしていることもあった。(方言が入っているので、もう少し親しみのある口調で)

そのうちAちゃんは、Bちゃんと適度な距離をとりつつ、遊びたいときは一緒に遊ぶようになり、ケンカが減っていく。彼女は成長して、少し大人になったのだ。

子どもが将来、自分の意思を正確に伝えたり、自分で自分の問題を解決したり、そういうことができるように、声をかけたいものだと思う。

なんにせよ、子どもといると学ばされるし、自分の生き方を振り替えさせられる。

子どもと関わるということは、大人にもこれだけリターンがあるのだから、頭ごなしに自分の都合でしかるのは避けたい。(もちろん、学童保育の先生という絶妙な立場だからこそ、余裕をもって関われたのだけど。)

試行錯誤の連続だけど、やっぱり子どもが変わってゆくのは、切なくも頼もしくて、楽しい。

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