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思い出について

このnoteを始めてから、未来というより過去のことばかり書いている気がする。
未来についての妄想を綴るつもりやったんやけど。
まぁゆるっと書きたいことを書こうってことで、今回は「思い出」について。

人は思い出を求めて生きてるんじゃないだろうか。

俺がこうやって考えたことをnoteで残し始めたのも1つの思い出作りじゃないかってふと思った。
思い出って大抵2人以上だからこそ「思い出」として残るもので、1人で思い出を作るのって結構難しい。
つまり他人を巻き込んだ記憶だと自分個人の記憶を外部化できるから確からしい記憶=思い出として残りやすく、1人で思い出を作るにはnoteやSNSといった他人の目に触れる形で記録を残すしかないのだ(※あくまで持論です)。

大学時代、一人旅やRPGを全クリしたのは記憶にあるけれど、あれが思い出になっているかといえば少し怪しい。
一人旅は旅先の出会いがあって、例えばバスの時間を調べず八ヶ岳の秘境を目指してタクシーに1万払う羽目になったとき、愉快なタクシーの運ちゃんと出会ったからこそ部分的に思い出として残ったところはある。
でも他のところ、旅の目的だった御射鹿池の景色や茅野駅で食べた信州そばは美味しかったけれど、「思い出」になっているかと言えば怪しい。

友人や彼女と過ごす時間が幸せに感じられるのも、それが後で思い出として残るからじゃなかろうか。

結局人は自分の記憶をより豊かなものにする為に生きていて、確からしい思い出を作るために人間関係を求めるんじゃないだろうか。

死んだ先記憶がどうなるか分からないけれど、生まれた時点の記憶が0で死ぬ時が100なら、なるべく自分という人間の価値に自信を持って死ねるような人生を送りたいなって話。

幸せが何かなんていろーんな人が幸福論を唱えているように古典的な命題で、そんな哲学的な落とし穴に嵌らず自己肯定感を高められる生き方がしたい。

あ、未来の話に繋がった。
てことで今回のnoteは終わり。

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