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ドラゴンクエストⅩⅠについて(批評)

ドラクエ11は暗闇に放たれる光芒の物語である。

英雄譚という点では今までのドラゴンクエストと変わらずありふれた物語だが、それでいてここまでダイナミックで心動かされるのは何故だろう。

世界における光と闇の闘いとは則ち精神的な二面性の対立のメタファーであり、パーソナルな問題提起として機能する。
外部的問題としては主人公=プレイヤーと魔王ウルノーガの対立が則ちそれであり、内部的問題としては主観的には勇者だが客観的には「悪魔の子」という主人公の存在についての二項対立がそれである。

王族の後継者かつ命の大樹によって特別な力を与えられた英雄という重い宿命を背負った主人公は、生まれた時から冒険に出ることが運命づけられている。
しかし彼が自発的に旅に出る動機付けとしては、これだけでは不完全である。
つまり、「エヴァンゲリオン」における碇シンジのように、理不尽に背負わされた宿命という名の重責に押し潰されてしまう可能性がある。
そこで社会的に「悪魔の子」呼ばわりされているという設定が追加されている訳だが、この設定が実に巧みで唸った。
この要素があることで、主人公にとっては世界を救う冒険が自身の汚名返上の為の闘いでもあるという複合的な意味合いを持つからだ。

でも本作で一番心に刺さったのは主人公の勇敢性ではない。
あくまでRPGにおいては主人公=プレイヤーであり、取り憑いている訳だから、こういった初期設定は単純にプレイヤーに何クソ精神を与えるに過ぎない。
やはり世界観とストーリーの強度こそ本作の最たる美点だろう。
言わずもがな王道の「桃太郎もの」なのだが、主人公たちが立ち向かう尋常じゃない逆境=闇に覆われる世界の描写の密度に心揺さぶられた。
それは3DCGだからこそ表現できたデザイン的な精度と精緻なキャラクター描写が織りなした幻想曲のようなものだ。

また、コロナウイルスに支配された世界と「闇の力に覆われた世界」も重なって見えてしまった。
これは名作こそ未来を読んでしまう力があるという点において仕方のないことだろう。
闇の力に屈服してしまった人たちの有り様がまたリアルで、世界の惨状とそれに抗えない自分の無力さに打ちひしがれてしまった彼らは、自信さえも完全に失ってしまっている。
本作においては一度光が闇に負け、暗黒世界となってしまう訳だが、NPCたちと違い再起する主人公たちの姿勢が良い。
則ち他人の前に自分が希望を見失ってはいけないと考え、自身の周り5メートルの範囲から人々を手助けしていく。
アレコレと将来を考えて絶望せずに、一歩一歩着実に世直ししていこうという態度がとてもリアルだった。
本作のキャラクターたちは世界の存亡という極めて大きな問題に立ち向かっていくが、自己実現ばかり考えがちな現実世界においてもこの姿勢は問題解決に合い通じるものがある。

しかし現実世界においては、コロナウイルスや自然災害のように誰の目にも明らかな「闇の力」なぞごく僅かで、多くの場合は政治のような思想対立であり、絶対的正義が存在しないという点でそういった問題は複雑である。
「闇の力」があるからこそ立場の対立を超えて一致団結し、関係性を構築できるという側面もあるだろうけど、果たしてコロナはそのような利点を世界にもたらすだろうか...。

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