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高校球児がまぶしい

何の気なしにテレビをつけていたら甲子園交流試合の最終日を伝えていた。

夏の風物詩。小学生の記憶。午前中、遅く起きて朝ご飯なのか昼ご飯なのかよくわからないものを食べながらテレビをつけ、甲子園の夏の大会を眺める。

お茶の間ではプロ野球の巨人戦の中継を見ているような家だったので、とりあえず基本ルールは知っていたし県代表の高校の試合はなんとなく熱が入った。

その時はみーんな年上のおにーちゃんたちだったのに、気づいたら追い越していた。もうこの時点で感慨深い。

おとうと、と言えるほどの年の差でもなく、もちろん子どもくらいの、と言えるような歳でもなく、なんとも不思議な距離感の年頃の子たちだが、とにかく彼らはまぶしい。

プレーしている選手たちだけでなく、ベンチの選手もスタンドにいる3年生も応援しているブラスバンドもチアリーディングも、みんなまぶしい。尊い、というやつかもしれない。

逆立ちしたって戻れないキラキラした一瞬がそこにある。

だから甲子園は面白い。

と、偉そうに語ってみたものの、全試合追っているわけでもないし最近では“たまたまテレビをつけて放送していたらチャンネルを合わせる”という程度。

何の思い入れもない土地の高校生たちがしぬほど暑い土の上を走る。気づいたら見入っている。勝手にハラハラする。試合が終わって、ホッと息をつく。

そしてまた、自分の現実に戻ってくる。

そんなことをたまーに、している。

*

8月17日が交流試合の最終日だったことを、夜の報道番組の特集で知った。

テレビとしての脚色も多少入っているかもしれないが、内野の選手たちがマウンド近くに集まって言葉を交わしてそして放射状に散っていく様子が、何故かどうしようもなく好きなのである。そんなシーンを入れてくれると、その番組への好感度が一気に上がる。(そういう単純な思考で生きている。)

高校球児たちにはそれぞれ一人ひとりにドラマがあって、メディアに取り上げられるのはほんの一部でしかないけれど、今日の大阪桐蔭対東海大相模の結末がとても素晴らしかったので感情の記録としてここに残しておこうと思う。

2校は甲子園の常連校で、何度も優勝しているようなところ。私も昔から知っている名前だった。

そんな強豪校の勝負の決勝打となったのは、大阪桐蔭の主将のタイムリー。まずこれだけでもまぶしいのだが、ここにさらに「控え選手で」「試合の後半で登場」という言葉がつく。もはや泣きそうになる。

四半世紀生きてきて心がどんどんオバチャンに近づいているのを感じているのだけど、こういうときが特にそうだ。

勝手に想像して勝手に感情を揺さぶられている。

(ここから勝手な妄想↓)

大阪桐蔭という強豪校で主将を務めるという重荷。甲子園大会の中止。3年間の目標を突然失い、練習もままならない。そこに甲子園が交流試合という形で復活。しかし主将だからといって確実にベンチ入りできるわけではない。事実、スタンドから応援している主将の姿が映る高校は存在する。ベンチ入りできたとしても試合に出られるとは限らない。それがたったの一試合であればなおさら。

様々な思いを抱えながらベンチから声援をおくる。そして、名前を呼ばれる。夢だった舞台へ。

重要な場面で自分の打順がまわってくる。

ボールが飛んでいく。

プレッシャーを押し返した打球は決勝打となる。

(妄想はここまで↑)

どうですか!

これはもうまぶしいとしか言いようがないドラマ!

そこいらのマンガよりも熱い展開。

は〜〜〜やっぱりまぶしい、尊い。

どうか彼らがこの先自分の望む道でさらに輝けますように。

来年もまた、私はきっと同じような気持ちでテレビ中継を眺めるのだろう。

そんな暑い夏の日のはなし。

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