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『フェアウェル』-伝えることの難しさ、伝えないことのもどかしさ-

 初めまして&こんばんは!echobaroです。朝晩寒いですね…前も同じようなこと書いたか(笑)「芸術の秋」ということで今夜は映画を観に行ってきました(注:私は年がら年中映画を観ています(笑))
 私が見てきた作品は『フェアウェル』です。最近映画業界をにぎわせている「A24」が携わってい作品です。
 予告編おいておくので、良ければ見てください(●´ω`●)
『フェアウェル』予告編(初めて予告編貼れた(笑))

 ストーリーを簡単に伝えますと、アメリカに暮らす孫娘(オークワフィナ/マギー)のもとに「祖母(チャオ・シュウチェン/ナイナイ)が余命いくばくもない」ことが伝えられ、祖母が大好きな孫娘は「余命を告知すべき」と言いますが親族は「それは西洋の考え方だ。中国では伝えない」と考えを拒まれてしまいます。祖母のもとに親戚一同を集めるため、「嘘」の結婚式を開催するのですが、孫娘の心は揺れ動き…という感じです。

あなたなら伝えますか?

 この映画を観ている間、ずっと考えていたことは「告知をするか、否か」ということです。私の母は癌でステージ3でしたが、本人が以前から「私が癌などになって余命が少ないことが分かったら必ず伝えてくれ」と言っていたので、医者の言葉通り伝えました(ありがたいことに母は今も元気です)。一方で亡くなった父に対し母と昔「お父さんは、あとわずかしか生きられないってわかったらショックで寿命が縮んでしまうから絶対伝えちゃだめよ」なんて話していました。
 告知をして、残りの人生を悔いなく生きてほしいマギーの想い。親戚たちの余命を知らずに幸せに生きてほしい想い。このどちらも痛いほどわかるのです。

人生の中間地点で思うこと

 3年前に父を亡くし、70を手前になった母を見ていると「いつまでも家族はいない」という考えが頭から離れなくなりました。だからこそ、映画の中で語られる「人生は何を成したかではなく、どう生きるのかが大事なの」というナイナイの言葉が突き刺さります。
 セクシュアルマイノリティのため、母に結婚式も孫の顔を見せることがない(奇跡が起きなければ)と感じている私は残りの人生、まずは自分のために何を成したいのか、そして母のために何がしてあげられるのか、改めて考えるようになりました。
 30歳という年齢になり、友人の子どもが生まれることで「生」に立ち会う機会もあれば「死」に立ち会う機会も多くなりました。そんな生活の中でこの映画は、改めて「家族」と「生き方」について考える機会をくれました。

何はともあれぜひ見てほしい!

 途中で超個人的感想が入ってしまいましたが(笑)1人でも多くの方に見ていただきたい作品です。何より一生懸命感情を抑えようとするでも時々爆発させてしまうオークワフィナの演技は見ものです。個人的には「中国版・八千草薫さん」と勝手に命名したチャオ・シュウチェンさんのかわいい「ナイナイ」からも目が離せませんでした。
 本作品にアクセントを加えているのは、ビリーの母役のダイアナ・リンだと思います。彼女の姑に対する複雑な思いや、アメリカと中国という文化のはざまで抱える感情、そういったものがとてもよく表現されていて、「いい女優さんだなぁ」と感動しました。

 ここまで、とりとめのない感想になってしまいましたが、読んでくださりありがとうございました!


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