職場、他人、というか全てのもの 自分の求めているもの完璧に持っているわけがなく わたしはそれを理解はしているつもりでいて だけど、いつも妥協点?諦めどころ?を どこにするか分からなくなる みんなどうしているのだろう… 先日職場の面談であり得ない発言をされて 他のことも色々あり自分の所属オフィス、ひいては人事に不信感を持った 人に話してみたけど 「会社はそういう所が多い(意訳)」と言われた だからと言って、自分が抱いている不信感が消えるわけでも、マシになるわけでもない
やりたい事、目標について 前のnoteにも書いたのだけど 読み返してみれば、本当に小さくて自分次第で叶えられる事ばかりだったね 何年か前から大好きになったものがあって 都度都度ぼんやーり、やんわーり これに関わって生きていたいなぁって考えていて だけどその度に 「ただ楽しむだけの関わり方でいい」 「好きなものを仕事にして、辞める時にまた傷つくのは嫌だ」 と、思い直して今日まできた 二十代前半のあの暗い時期に戻るのが怖かった 好きなことを嫌いになるのも その場所から遠ざか
気付いたら、7月1日になっていた… そもそも暑いのと湿気が苦手 尚且つ、ここ数年失恋続きなのもあり 夏に苦手意識がぐんぐん育っていた とは言え ノースリーブなどの薄着にも挑戦出来るようになり 衣服に関する楽しみが増えたのと 友人との楽しみな予定がいくつかあるので 今年はワクワクが強い幕開けなのである 昔は目標を立てることが難しかったのだけど ノートに向かって頭の整理+可視化をしていたら いつの間にやら、逆に目標立てるのが好きになっていた… (目標を大袈裟に考えず、「やり
身なりを整えたり、着飾ることが好き 自分を大切にしている感覚になるから ノートに向かってただただ文字を書いている時 (大体、頭の中がぐちゃぐちゃになっていることが多い) ノートの端を抑える指、ペンを握る指がかわいいと救われるから、少し高かったけどジェルネイルして良かったな…と思う 「好き」と思えるものたちを身に纏うことで わたしはわたしを鼓舞して、救っているんだと思う どんな時でも「好き」は 栄養で原動力で、喜怒哀楽の日々を生き抜く力になる わたしはわたしと死ぬまで一
「なりたい自分」 これについては高校生くらいの時から最近までずぅっと同じで 感情の起伏が少なく、凪いだ海のような人 そうなりたいとずっと思って、目指して、生きてきた だけど今は違う 感情的で、昨日と今日で逆の発言したりする不安定さばかりの自分も受け止められる自分になりたい わたしはわたしを生きやすくしたい 出来るだけでいいから力を抜いて、楽に、のびのび暮らしいたい 苦しいことも楽になるためならやりたいし、自分を大切にするためなら我慢や努力もしたい くだらなさも、意固地さも
自分の服薬についてThreadsで話したところ 「あれってさ、どういう薬なの?」とお世話になっている方に聞かれた Threadsは色々な人と繋がっているので 自分の特性や疾患について話すのはかなり躊躇ったけど それも含めて自分だし、嫌がる人なら縁を切るかと腹を括って話した内容だったから、聞かれた時はかなり「ウ…ッ」となった だけど聞いた理由としては その人自身が自分にも発達障害があるかもしれない と感じているようで、検査や服薬について気になっているというものだった とり