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ずっとスタバが苦手だった

正直に言うと、ずっと苦手だった。スターバックスコーヒーの話だ。

何が苦手かと言うと、まずはあのおしゃれな座席である。
机は狭いし、椅子は高い。あるいは「低すぎるテーブルに柔らかすぎるソファ」の組み合わせだ。

注文カウンターにはいつも大勢の人が並んでいて、店内はいつもざわざわしている。あれほど過ごしにくいにもかかわらず、サードプレイスの代表として地位を確立しているのが解せぬ。

なにより一番苦手だったのは、その完璧さだ。私にとってスターバックスは過ごしにくく、決して完璧ではないのに、なぜか「これこそが完璧なカフェである」という圧力のようなものを感じる。スタバには「おしゃれならざる者」の羞恥心を絶妙に刺激する魔法がかかっている。

ほろ苦い思い出もある。注文時の出来事だ。
少し緊張しながらホットカフェラテ(正確にはホットのスターバックスラテ)を注文する私。すると完璧なフレンドリーさを身につけた若い店員さんが、「お渡し時にお名前で呼ばせていただきたいので、お名前お伺いしてもよろしいですか?」と、カップを頬の高さまで掲げて笑顔で尋ねてくる。「あっ、えっと……icca、です」と、はにかみながら答える。

見ず知らずの明るい人に下の名前を名乗るときの、あのなんとも言えない恥ずかしさはなんなんだろう。恥ずかしいなら病院の受付よろしく名字で済ませれば良いのだが、スタバの店員さんに名前を聞かれて、「鈴木です」とか「佐藤です」と答えられる人っているんだろうか?

注文の山場をどうにか切り抜け、受け取りカウンターの近くで商品を待つ。2〜3人の先客が去った後、「えー、トールサイズホットのスターバックスラテでお待ちのお客様!」とあっさり商品名で呼ばれた。以来、日本全国津々浦々、どこのスタバで名前を聞かれても答えないようにしている。


諸々の相性が悪く、避けがちだったスタバ。転機となったのは「やたらとスタバに行く友人」の存在だ。
仕事のつながりで知り合い、家も近かったので一時期よく連れ立って遊んだ。この友人、とにかくやたらとスタバに行く。ノマド、待ち合わせ、食後、散歩の行き先、とにかく全部がスターバックスだ。

一度驚いたのは、ある大雨の夜だ。19時をだいぶ過ぎた頃、窓を閉め切っても音が聞こえるほどの大雨が降っていた。昼夜が逆転した寝起きの友人から、「起きた!スタバ行こうかな」と連絡が来る。

えっ、この雨の中を、この時間から?

友人にとってスタバとはもはや条件反射、朝起きたら歯を磨くのと同等の習慣なのだろう。この友人と連れ立って行くうちに(さすがに)スタバに慣れ、ストレスを感じていた事柄すべてをどうとも思わなくなったのだった。


そんな友人は私が上京する時に「スターバックスカード」をくれた。カードには数千円が入金されていて、上京直後の期間にありがたく最寄りのスタバに通った。

最初はスタバに通うつもりなどなかった。節約のため当分はカフェに行かないつもりだった。でも、寂しかった。
夕飯を済ませた後、風呂に入るまでの静かな時間がたまらなく寂しい。見知らぬ土地のワンルームに一人でいると、もしかしたら世界に私しかいないのではないか、他の人類は絶滅してしまって、自分は世界に一人ぼっちなんじゃないかと思えてきた。

そんな時、スターバックスは私を救った。
友人にもらったカードでホワイトモカを頼み、大きなガラス窓からゆっくり走る電車を眺める。周りの席には、スーツのまま分厚い本で勉強するサラリーマンや、すでにひとっ風呂浴びてきたらしいリラックスウェアの若者など、様々な人がいた。
よかった、人類は絶滅していなかった。東京のスタバは比較的ドライで、常連客と一見の区別がつかないところも気が楽だった。


スタバと私は紆余曲折を経てすっかり仲良くなり、今では積極的に利用するようになった。
土曜日の午前中、早く目が覚めた時などは、「スタバでモーニングを食べながら文庫本でも読もうかしら」などとしゃれこんで出かけたりもする。

シュガードーナツとサイズアップしたドリップコーヒーを携えてカウンター席へ向かう。右手と左手にそれぞれ一人ずつ、「休日にモーニングを食べながらスタバで文庫本を読む女性」の先客がいた。
(わかるよ)と思いつつ、オセロのように間の空席に着き、何も気にしていないかのような顔でドーナツをひと噛みした。


そんなスタバの快進撃は、とどまるところを知らない。とうとう仕事でも「スタバ」の名前を聞くようになった。

あるプロジェクトに伴い、当社がスタバに協業のオファーをした。結果は散々で、早い話が、キッパリと断られて帰ってきた。にもかかわらず、上長たちの顔がいやに清々しいのだ。「いやあ、やっぱりすごい。スタバさんは違うよ」と、部長が言う。

部長の話によるとスターバックスでは、ビジネス上「OKなこと」と「NGなこと」が明確かつ詳細に規定されており、「NGなこと」に入る提案についてはきっぱりと断られ、折衝の余地がなかったのだと言う。

「うちみたいにね、なんでも検討して、ハイハイやらないんだよ。できることはできる、できないことはできない。ビジネスではこれをはっきりさせないと!」

どうやら当社は、あまりにもキッパリとNOを言うスタバに恋をしてしまったようだ。相手をNOで虜にするなど、よっぽどの手腕だ。

それからというもの、上長らはスタバのことを「スタバさん」とさん付けで呼ぶようになった。スタバのOKラインに沿ってプロジェクトの方を書き変え、再提案に励んでいる(そういうところがダメなのだ)。


私の孤独を癒し、ついには仕事にまで進出してきたスタバ。今日も私は最寄りのスタバに来ている。
モーニングサービスの時間は過ぎてしまった。上京して1年が経ち、東京の家でも昼まで眠れるようになった。

ガラスケースで、新商品の「白桃&アールグレイケーキ」が目に留まる。先日、広島の友人から採れたての野菜と一緒に送られてきたスターバックスカードを使わせていただく。

カードを差し出すと、店員さんが「HIROSHIMA」と印字を読んだ。「広島から来られたんですか?」と尋ねられ、「いえ、広島の友人にもらって」と答える。

東京のスタバは、客に名前を聞かない程度にはドライだが、このように「明らかにイレギュラーなこと」があれば必ず声をかけてくれる。さすがスタバである。
そういえば、「広島から来ました」と話すことが減った。東京で暮らした1年が、自分のアイデンティティに染み込みつつある。

商品を受け取ってカウンター席につき、ロールカーテンを半分まで下ろす。左隣に座っていた人も、私に倣ってカーテンを下げた。
桃とアールグレイのケーキから注意深くフィルムを取る。いったいどうやってカットするのだろう、断面が鋭利でピカピカだ。

ケーキは、何層にも分かれた繊細な造りになっている。アールグレイのムースにしっとりとしたスポンジ層、タルト生地のようにザクザクとしたクランブル。一番上には大ぶりにカットされた白桃がぎっしりと敷き詰められ、涼しげにきらめく透明のゼリーでコーティングされている。味、機能、見た目 すべてが完璧である。

さすがスタバさん、と口に運ぶと、ある違和感に気づいた。もったいぶらずに言うことにするが、一部が凍っていたのだ。

ムース、スポンジ、クランブルの温度は完璧だ。唯一、果肉・ゼリー層とムース層の接地面のみが特別に冷たくてシャリシャリしている。
この部分だけ水分が多いので、溶け残ってしまったのだろう。

私は妙にうれしくなった。
完璧なスタバの めったに見られない不完全さに遭遇し、ますますスタバのことが好きになってしまったのでした。


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