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パン屋日記 #53 木村さんがいない

そのことに気づいたのは5月の中旬

みんなのタイムカードを
整理していた時のことでした。

用務員の木村さんが、
当月まだ、1日も出勤していません。

(木村さんはおじいちゃんだから、
 コロナでしばらく出勤を控えてるのかな)

少し嫌な予感がして本社に確認すると

「木村さんは、おことわりしました」
と言われました。

用務員の木村さんは今まで

店じゅうの物を直したり、
新しく棚を作ったり
捨てにくいゴミを分別したり

駐車場の掃き掃除をしながら

「いらっしゃいませ!」
「ありがとうございます!」と

お客さまに声をかけたりしていました。

それらを
「利益に直結する仕事ではない」と判断し

先月、解雇したというのです。



木村さんが、いない。

もともと四六時中、
一緒にいたわけではないけれど

「木村さんはいるけど、今ここにはいない」

というのと

「木村さんはいない」

というのは、

まったく違うことです。

去年の今頃

季節の変わり目に負けて、
ひどい頭痛に襲われ

店舗裏のゴミ置き場で小さくなっていたわたしを
一番に見つけてくれたのは、

用務員の木村さんでした。

「どしたんかね。頭、痛いんかね?」

そう言って私の顔をのぞきこむ木村さんは、

わたしが人生で見た中で、
一番やさしい人の顔をしていました。

知恵や技術、経験の良さを教えてくれたのも
用務員の木村さんでした。



木村さんのことを
悲しんだり怒ったりする暇もなく

「休業」していたレストランの
「閉業」が決まり、

大好きなシェフを含む7名の従業員が
解雇になりました。

今、こんなことが、
日本中あちこちで起こっているのか。

わたしは文字通り、ゾッとしました。

同時期に廃業した
大阪の老舗ふぐ料理店が

「コロナの影響ですか?」
という取材陣の問いかけに対し、

「コロナが決断の理由ではあるが、
 それだけが理由ではない」

と答えていました。

本当のことだ。
この人は本当のことを言っている、と

ニュースを見て、奥歯を噛みしめたのでした。


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