私と毒親③私のスキは誰のもの? 苦いだけのバレンタインの記憶
2023年2月14日、バレンタインデー。
この日私はフラッシュバックを起こして寝込んでいた。
このイベント自体、もう何年もスルーしている。
単純に恋人がいなかったからというのもあるが、ここしばらくはそれはもうガチ恋している2次元のキャラクターがいて、今年こそ何かしようと思っているのに気付けば当日の朝を迎えてしまった。
思い返せば、最後に付き合った恋人にすら、バレンタインは何もしてあげられずじまいだった。
そういう事に一番敏感であろう学生時代はほぼ女子校だったが、友チョコ文化はあった。私も友人から手作りお菓子をもらっていたのに、私からはついぞ贈ることも、お返しすらもあげずじまいだった。
バレンタインの贈り物は強制されるものではないが、しないことで損なわれるコミュニケーションがあったのも事実だ。
世間の楽しいイベントに無縁でいるのは、なんとなくもったいないような気分もする。
けれどどうしても、熱気がない、夢中になれない。
どうせ無駄な事なのにとすら思う。
どうしてこんなに冷め切ってしまったのか、いつからそうなのか、たどればやっぱりそこには母の影がある。
これはそんな、苦いだけのバレンタインの記憶の話だ。
あれは小学校の、少なくとも低学年と呼べる頃だったと思う。当時は我が家でも、バレンタインは年中行事のひとつだった。
スーパーの催事コーナーにチョコが並ぶと母と選びに行っていたし、手作りのチョコやらクッキーだのを作ることもあった。
もちろん私としては、好きな子にプレゼントを贈るドキドキイベントのつもりでいたのだが、母にとっては父や母方の祖父のためにあるのがバレンタインという認識だったように思う。
現に、記憶にあるのは幼い私が父や祖父用のチョコを選ぶ場面ばかりで、肝心の好きな子にあげたものへの記憶はさっぱりない。
けれど、幼児が小学生にもなれば恋心だっていっちょまえに育ってくるのである。大人からすれば未熟で他愛ないものには変わりなくとも。
その年、私はお目当ての男の子に「スキ」のメッセージ入りの手作りお菓子をあげるつもりだった。
きっかけはなんて事はなく、少女漫画の影響である。
良くも悪くも惚れた腫れたがメインの少女漫画にとって、バレンタインは欠かせない題材だ。
それはたまたま冬休みの帰省で祖父母に買ってもらったものか、あるいはだれかのおさがりだったかもしれない。
確か内容は、主人公がみんなに配るチョコの中にこっそり「スキ」とメッセージ入りのチョコを作って本命のボーイフレンドに贈るのだが、ちょっとした手違いでボーイフレンドのライバル君の手元にも同じものが渡ってしまい…というラブコメだったように思う。
この歳になって思い出すと、甘酸っぱさが濃厚すぎて胸焼け気味というか、アラアラまぁまぁと顔を覆いたくなるような気恥ずかしさがあるのだが、ターゲット層ドンピシャの少女にはそれはそれは憧れの世界だった。私も何とか真似したいと思うのは自然なことだろう。
しかし所詮は小学校低学年、漫画のような仕込みチョコを一人で作れるわけもなく、考えに考えた結果は「スキ」の文字型クッキー。ド直球である。
もちろん母に手伝ってもらわねばならないし、ばっちり横で見られている。
ついでに言えば誰に渡す物なのかも、もちろん知られている。
それがダメと言われるなんて、思いもしなかったからだ。
「スキ」文字クッキーの生地が出来たとたん、母の表情が曇った。
「それ〇〇くんにあげるの?」
なぜ怪訝な顔をされるのかわからなかった。好きな子へ贈るバレンタインチョコを一緒に選んでくれた母なのに、どうして急に。
「…その『スキ』って形のは、あげるのやめよう?」
よくよく思い返せば母は、私が選びたがる「ハート型にLove」のような、いかにもなバレンタインチョコは絶対にOKしてくれなかった。
「スキなんて、相手のお母さんが見たら「なにこの子」って思われるから」
なぜだかすごく、恥ずかしかった。
理由自体まだ納得できなかったし、相手の母親に見られるものと意識させられたことも言いようのない気持ち悪さがあった。
なにより私の「スキ」は表明したら嫌悪の目で見られるようなことで、つまりは恥ずかしいことなのだと、そう言われたようで。
ショックだった。恥ずかしかった。理不尽だとも思った。
悲しかった。
ここまで書いておきながら、母の判断が正しいのか歪んでるのか、自信がない。私は母親にならない道を選んだ。母親という立場を完全に理解することはできない。
世に嫁姑のいがみあいは尽きず、私の母もその例に漏れなかった。母親というのはすべからく息子に言い寄る女が許せないもので、私の母はトラブルから娘を守っただけなのかもしれない。
けれど一方で、子供のすることで?とも思うのだ。本来当事者が言っていいセリフでないのは百も承知だが子供の当時ですらそう思った。
たかだか7歳8歳の子供同士の色恋沙汰に、まともな大人はいちいち目くじらを立てるものなのだろうか。
それにクッキーを渡したかった子というのは絵にかいたような小学生カースト上位のモテ男くんで、私が告白クッキーを渡そうが渡すまいが、他の女の子からいくつも本気チョコをもらうのだ。
他の子達には許されているのに、なぜ私だけダメなのだろう。私だけがなぜ、その輪の中に入れないのだろう。
けれど、当時の私はそこまで言語化出来なかった。出来たところで、母に訴えられるかは怪しいが。
母が絶対ダメというならダメなのだし、スキなんてクッキーを渡そうと考えた自分が恥ずかしいという思いで頭は一杯だったのだから。
もういっそ全部まとめてこねなおして、普通のハートや星の型にしてまいたい…。
もはやドキドキのバレンタインの夢は粉々だが、追い打ちをかけるように母は
「〇〇君には普通のにして、これはパパとグランパ(※)にあげましょ」
とさもいい事を思いついたように言う。
(※母方の祖父の事。私は母方の祖父母の事はグランパ、グランマと呼ぶように育てられている)
確かに。何も知らない男親にすれば、幼い娘から「スキ」のメッセージを受け取ったところで可愛らしい家族愛にしか見えないだろう。なんの違和感もない。
けれど違うのだ。私が作ったスキは。それは幼いなりに精一杯の恋慕、もっと言えば性愛のスキなのだ。
それを肉親に贈る事の、なんとおぞましいことか。
私は父からも祖父からもベタベタに甘やかされていたので、幼いころはそれはもう男親が夢に見るような「パパだーいすき♥」な可愛い娘ちゃんであった。
ただそれでも「パパのお嫁さんになりたい」は一度も言わなかったはずだ。父は母と夫婦であると理解していたし、父や祖父を慕う気持ちはどこまでも父親、祖父としてのものだ。
「お嫁さんには好きな人となるもの」
「パパの事をそういう好きっていうのは、なんかきもちわるい」
どういうわけか、物心ついた頃にはそういう意識があったのだ。
余談だがこういう訳で、私はエレクトラコンプレックスという言葉を両親との関係の葛藤に使う事に抵抗がある。
断じて父を性愛的に見たことはないし、母から奪いたいとも思わず生きてきたつもりなのだから。(しかし他に適切な言葉を知らない)
そうでなくても好きな子にあげるはずだった、しかも告白メッセージそのものを父や祖父になんかあげたくないに決まっている。
しかしやはり、嫌だと言えない。
父と祖父にもクッキーはあげなければいけない。私が「スキ」に対して抱える複雑な気持ちもきっと恥ずかしい。何も言わなければ誰も疑問に思わない。父も祖父も喜ぶだろう。
でも、嫌だ。嫌だ。すごく嫌だ…。
でもこれ以上嫌と言えば、それも叱られそうだった。実際叱られたかもしれない。
子供になす術はなかった。
私の「スキ」は取り上げられて、男親たちのものにされてしまった。
この気持ち悪さが、分かってもらえるか不安だ。
きっと当人たちは何とも思っていない。何があったかも覚えていない。
私の「スキ」は伝わる事もなく、恥ずかしいもの、嫌がられるものとして貶められ、取り上げられてしまった。
そのくせ母はそれを父や祖父、つまりは家父長に差し出してしまうのだ。
その意味を知らなくとも、娘からそれを受け取ってデレデレ喜ぶ男親も気持ちが悪かった。
全部ぜんぶ、気持ち悪くて、最悪だ。私にとっては。
私の好きは、誰のものなのだろう。
私の好きは、恥ずかしく気持ち悪いものなのだろうか。
そんなことない、そんなことないよと今なら言ってあげられるが、それはあくまで知識や理性としてだ。
この感覚はいまだ根強く私の心を苛んでいる。
フラッシュバックを起こしたのは、毒親手記を書き始めた事でこの記憶に真っ向から向かい合ってしまったからのようだった。
散々苦しんだのち、私はスキを少なくとも、自分の物に取り戻すことにした。
閉店間際のスーパーに駆け込んで、ラッピングされたりちょっと高価な輸入ものだったりのチョコを思うままに買ってきて、じっくり自分ひとりで味わう事にしたのだ。
思い出したようにガチ恋の彼のアクスタもセットしたので、もしかするとこれは久々の、好きな人と過ごすバレンタインだったのかも知れない。