QAエンジニアになった、地方在住者の話②

前回からの続きです。

担任ではないのですが、専門学校時代にお世話になった先生がいました。
講師が本職ではなく、いろいろやられている方で当時私は携帯電話販売のお手伝いをしていました。
まだiモードが出て少しくらいの時代だったと記憶しています。
自分で販売用のHPを作って、宣伝して、通信販売のような形ですが売れるとお金になるという歩合制のような形でした。
購入者から必要書類が届いたら、それを先生に渡せば契約や発送はお任せなので、シンプルに私の仕事は売るだけでした。
当時の人気はiモードでしたが、売れても5,000~10,000円くらいで儲けが少なかったです。Jフォン(確か)はかなり儲けがあり2~30,000円くらい貰えたので、学生の小遣い稼ぎとしてはかなりおいしかったです。

脱線しましたが、退職してその先生と話をしたところ、「アイドルの養成所を作ろうと思ってる」と言われました。
場所は仙台です。
まだ地方アイドルや地下アイドルなどが活躍する前だったので先見の明という点では間違ってなかったのかもしれません。
ただ、まだ東京に出てきて半年。何者にもなれていない私は仙台に戻るということに抵抗がありました。
今よりも地方と都市の格差が大きかった時代です。通信端末は前述のiモード全盛期。メールがもてはやされていた頃です。
インターネットだって全ての人が気軽に使える時代ではありませんでした。
「まだココから離れたくない…」その想いから先生の誘いには乗りませんでした。以降連絡をすることもなくなり、今はどうしているのでしょうか…

働くつてを蹴ってしまったので、違う先を探さなければいけなくなりました。チャットで知り合った人で独立して働いてる人がいたので、その人とコンタクトを取りいろいろ教えてもらってパソコンで稼ぐことにしました。
自分でホームページを作り、アクセスを集めて、そこに企業からのバナーを貼ることで広告収入を得る。というものでした。
知人からの紹介などもあり、思っていたよりも早く収益化できました。
当時は4~5サイトくらいを日々更新して10万円前後の稼ぎがありました。
今考えると副業レベルとしては悪くない稼ぎですが、これだけでは暮らせないので結局バイトなど掛け持ちしていました。
そんな生活では最初に働いていた頃より良くなるハズもなく、小さな借金などもできてきていました。
これはとある出来事にて一括返済することができたのですが、それはまた別の機会にお話ししたいと思います。

そうして、都会での暮らしを諦めた私は一度地元へ帰ることにしました。
いつかはまた東京に出てきてやる!そう誓って・・・

つづく

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