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帰宅部だった俺がいつものように歩いていると野球部のボールが足元にやってきて…

「すみません、取ってください〜」という野球部の声。その声のする方へ何気なく、本気を出すわけでもなく、ほんとうに何気なくボールを投げると…

ほとんど肉眼では捉えられないスピードで気づくと一番奥にいたキャッチャーのミットの中にボールが収まっている。唖然とする部員たちをよそ目に、帰ろうとする俺。すると、野球部の監督がキラリとした目でやって来て

「ぜひ、うちの野球部に入ってくれないか?」と声かけられる。

みたいな人生を夢見ていたのに、結局、叶わず。

「大した努力をしていないんだけど何気なくやった行動で才能を見出されて周りから持て囃される」という完璧な隙のない人生プランは全く成立しそうにない。僕は今年で29歳になる。

なんでいきなりこんな自分語りを始めたのかというと、僕が個人的にお世話になっている先輩・阿部広太郎さんの著書「あの日、選ばれなかった君へ」を読んだからである。

この本、阿部さんの個人的な「選ばれなかった体験」が連なっている。だけ、なのに、すごく自分ごと化し、「自分の中の選ばれなかった体験を人に語りたくなってしまう」という不思議な本だった。

マーティン・スコセッシ監督が言ったらしい「”最も個人的なことは最もクリエイティブなこと”」という言葉が思い出されるような。そんな読書体験でした。著者の阿部さんと自分が同じ大学、同じ業界だということもあるだろうけど。

新歓期の空気、何かやらなきゃと焦って向かう公認会計士の塾、インターンが始まった時の学校の雰囲気…そういう記述、描写1つ1つによって自分の中の「選ばれなかった経験・想い」を回想させられる、なんとも悶絶するような気分になった。

選ばれなかった経験。誰にだってあるはず。
僕にとって選ばれないとは、「貧血を起こすほど頭が痛くなる思い」だ。


個人的な思い出をつらつらと…

ーー僕の人生の中の最大の選ばれなかった経験、それは就職活動だ。当時、サークルで映画を作っていた自分は映像を作る職に就くことを志望していた。

勉強も特別できるわけでもなかった、運動も苦手だった、コミュニケーション能力が高いわけでもなく、何か人より秀でたものがあるわけではなかった自分が大学生になってやっとの思いで見つけた得意分野。それは、「台本を書くこと」や「面白いことを考えること」だった。この才能で、当然、「選ばれる」のだと思っていた。

僕がその当時選ばれたかったのは、「高給取りで派手なイメージ」のあるテレビ局だった。選ばれたかったし、選ばれて当然と思っていた。

当時、日テレのインターンに行き、最終課題で映像を作り、そこで僕がリーダーを務めていたチームが優勝。そのあと、日テレの本選考を受けているとあっという間に最終面接まで進んだ(確か、7次試験とかまであった気がする)

当然選ばれると思っていた自分は最終面接の会場では近くの席に座っている同じ受験生に声をかけたりして「僕たち同期になっちゃいますね〜笑」なんて話していた。

「面接の結果については、合格者にのみ、16:00-18:00の間に電話をします。その後、内定者に大事な話がありますので、面接が終わったあとも、みなさん汐留近辺にいてください」と案内された。

「春から働きだす汐留を観察しておこう」と汐留近辺を散歩したりして時間をつぶし、最終的に漫画喫茶へ足を運び、かかってくる電話を待ち続けた。僕は人生で一番好きな「ボーイズ・オン・ザ・ラン」を読みながら待つことにした。なんだか、そんな漫画を読みながら内定を勝ち取ることで「今まで学校の中でも、受験でも、恋愛でも、何でもかんでも上手くいかなかった自分」を肯定できると思っていたから。

あっという間に、内定が通知される時間になった。

16:00-16:30は、まぁまだ焦る時間じゃないと自分に言い聞かせる。人事も今は情報を整理しているんだろう。

16:30-17:00は、おそらくもう合格者に連絡が行き始めて、そろそろ自分だろうと何度もスマホを開いてはソワソワした。

17:00-17:30で、「もしかして…?」という思いがやってくる。頭がちょっと痛くなる。でも、あれも良かったし、あれも良かったしたぶん大丈夫…と自分で自分を落ち着かせる。

17:30-17:55、胸に穴が空いたような気分になる。頭痛がひどい。17:55になって、諦めようと思う。だけど、まだ可能性は1ミリでもあるんじゃないかなと思う。

17:58になると心臓がバクバク言う。心が痛い。こういう時に思うけど心ってやっぱ胸のあたりにあるんだなと思う。胸が変な感じで気分が悪い、早く家に帰って寝たいという気分になる。

18:00。電話も来ないまま。採用のマイページを見ると「不採用」の文字。

あぁ選ばれなかったんだ。勉強も特別できるわけでもなかった、運動も苦手だった、コミュニケーション能力が高いわけでもなく、何か人より秀でたものがあるわけではなかった自分がやっとの思いで見つけた「台本を書くこと」や「面白いことを考えること」は、人から選ばれるレベルではなかった。

「惜しかったから敗者復活戦の案内」とかあるのかなと思っていたけど、そういうのないんだな。どんなに綺麗な言葉で今後の活躍を祈ってるとか言っても要約すると「お前、いらん」だからな、とか。

そんなことを考えていると、新橋駅で思わず貧血を起こして座り込んでしまった。「選ばれなかった」ことで心身共にグロッキー状態になったのは、あの時が最初で最後で最大だった。

それから意地を張って「絶対テレビ局に入る」と無茶な就活をし、他の人の意見も聞かず、そのくせネット上の自分に有利な言説は信じて。結果、どこからも内定も得られず「就職留年」をすることになった。

テレビ局に選ばれなかった、というよりも、自分の中の得意だと思っていた「面白いことを考えること」が“選ばれない”ことが辛かった。


再起。それでも人生はつづくし、また来年も慣れないスーツを着て、1学年下の子たちと就活をしないといけない。なんとかしなくてはいけないと焦っていた。

それから「映画」とか「映像」といった分かりやすい領域だけでなく、もうちょっと自分が何をやりたいのかを考えようと、そのヒントを得るために本屋さんに行った。そこで出会ったのが「企画」という概念だった。

いや、映画を作ったりしているときも「企画」をしていたのだけど、だけど正直大事なのは「台本作り」や「撮影、演出」などの「制作」に関わる領域であり、その上流の「企画」という作業にあまり意識がいっていなかった。

でもどうやら、ビジネスの現場では、協力者を集めたり、いろんな関係者を巻き込んでいくときに、いきなり「制作」を始めるのではなく、「企画」というちょっと抽象的な話をまずは合意をとらなければいけない。らしい。

本屋には「企画」に関する本がズラッと並んでおり、「もしかしたらここにやりたいことがあるのかも」と藁にもすがるような気分で手を伸ばしたような記憶がある。選ばれない人生には、その先々で藁にもすがるような気分で何かを模索する時間がある。

そして、いくつか「企画」に関する本を読み漁っているとき、阿部広太郎さんが主催する「企画メシ」という存在を知った。企画メシは阿部さんがモデレーターとなって、各界の「企画を行うクリエイター」を呼び、勉強会を実施しているコミュニティ。僕はSNSでその存在を知り、「2回目の就職活動をしている大学生」なのに応募をしてみた。

結果、またも「選ばれること」はなかった。僕のお気持ちには、世の中の大体の人が応えてくれない。不採用通知。まぁ企画メシって、プロの人たちが応募しているっぽいし。俺なんかは選ばれないか、と思った。このモデレーターの阿部さんって人も、大企業でコピーライターをやっている人らしい。エリート中のエリート。こういう人を選んだり、落としたりすること慣れてるんだろうな。とか、そんなことを思っていた。

ただ、日テレの不採用通知とは違って(?)

企画メシの不採用通知は、1つのイベントへの招待状になっていた。2017年4月23日、みなとみらいにて。応募したけど不採用だった人たち限定でイベントを開いてくれるらしい。僕はせっかくだし、と行ってみることにした。

当日は、阿部さんが手がけてきた仕事やその向き合い方に関する話を聞き、終わったあとで、みなとみらいで飲み会をした。なんの話を阿部さんとしたか内容は覚えていないけど「僕いま就活中なんです。企画ってやってみたいんですよね」という話をした気がする。阿部さんは目を見て話を聞く人だったので、なんだか自分の本気度が試されているようにも思った夜だった。

そのあと1ヶ月後、広告代理店の内定が決まる。阿部さんと同じ広告の会社だった。

ここから、自分も「企画する側」の人生が始まり、世の中で話題になるような広告キャンペーンを連発し、日差しの良い窓際に座って、首元まで閉めたボタンをして、皺のないシャツを着て、「広告って、人間を映し出す鏡だと思うんです」と朴訥とした語り口で話す様子が、雑誌のブレーンで連載されて。



みたいな人生を夢見ていたのに、結局、叶わず。

配属は希望通り行かなかった。
企画をする側としない側。企画をしていい側としてはいけない側。なんだかその線引きがされてしまったような気持ちになった。

たかだか配属、なのに。

また選ばれなかった、と思ったけど。阿部さんも元々は企画職じゃないところからキャリアがスタートしていると聞き、自分もまずは今いるところから頑張ろうと仕事の中でも仕事の外でも「企画書」を書くという習慣をつけ続けていった。

「企画」への思いを持ってチャレンジを続けていた。

ただ僕は、特別ルサンチマンを抱えて何かを発散させていく、誰かを見返したくて頑張る、という感じではなく「好きだから時間を注ぐ」という感覚だった。令和的でしょ。

時々、「え、クリエイティブでもないのになんでそんなこと勉強してるの?よくやるね笑」と周りに言われることもあったけど、企画書を書いて、出すってことだけは続けていた(というか、今も続けてる)

そして、2022年。まだ企画職になれない僕は、「このままじゃダメだ」と思って何かキッカケを探し。またもや阿部広太郎さんが開く「場」にそのキッカケを見出そうとした。実に5年ぶりだった。それが、アートディレクターとコピーライターをマッチングする講座「アートとコピー」だった。

アートとコピーの受講にあたっても「選考」があったけど、そこはなんとか通ることができた。第一回の講義を終えた後、阿部さんに話しかけに行ったら「会わないうちに、力をつけてきたのがわかったよ」と言ってもらえたのが、とてもとても嬉しかった。自分ではちゃんとわかっていなかったけど、あぁちょっとつず力をつけていたんだ。

結局、参加した「アートとコピー」の出会いのおかげで、この1年間で、入賞が1個、受賞が2個を獲得。アートとコピー自体の広告も作らせていただいた。

そこで学んだことはここにまとめている。

社外の活動も報われてか、仕事でも企画系の案件を対応する機会が生まれ、世の中に話題になる企画を1つ作ることができた。

僕のキャリアはこの1年間で動き始めて、今は企画職ではない部署にも関わらず、企画系の案件を担当するようになった。周りの見る目がちょっとずつではあるけど変わってきた。

そんな経験を経ているうちに、「選ばれる」ことを待つんじゃなくて「自分で選ぶ」という気持ちが芽生えてきた。新橋の漫画喫茶でボーイズ・オン・ザ・ランを読み、選ばれることをただただ待っていたあの頃の自分から、成長しているんじゃないかなと思う。流石に。

あの時、選ばれなくてよかったと、今では思う。選ばれなかったから企画という概念に出会えた。選ばれなかったから、自分から「見つかりにいく努力をする」という習慣がついた。

選ばれなくても人生は続く。選ばれなかった人生の先々で時には藁にもすがるような気分で模索した時間が、ちょっとずつ実を結び、ちょっとした自信へと変わっていくものなのだと思う。


ーーと…なんだかすみません、すごく自分語りがすぎました。でもいいじゃん、俺が開設の手続きをしたnoteなんだよ、ここでくらい語らせてくれよとも思う。

まぁ、要は何が言いたいかというと、選ばれなくても人生はその都度頑張れば楽しいんだよな〜とかそんなことを思いました。

自分の中の「選ばれなかった日々」を思い出される(大学受験に落ちた、好きな女の子に彼氏ができた、インターンに落ちた、就職活動に落ちた、配属が叶わなかった、企画会議で居づらい気持ちを味わった、公募で何も引っ掛からなかった…)素敵な本でした。

広告で学んだこと「大事なことは何度も言う」と言うことでまたも、本のリンクを貼っておきます。

今から6年前の、2017年4月23日の、僕も参加したイベントのことが、この本の中にも紹介されており、それが個人的には驚きでした。

あの時、僕には「大企業所属のコピーライターで、エリート中のエリートで、選ぶことに慣れている」と見えていた阿部さんの“目”は、僕のことを試していたのではなく「選べなかったこの大学生に何の言葉を贈るべきなのか」を必死に考えていた“目”だったのだなと知りました。そんなことに気づけた本でした。ぜひみなさんも。

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