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【短編】両翼を裏切れ

世界には期待する側と期待される側の人間がいる。誰かに期待し、期待に応え、世界は廻っていく。大抵の人間はそのどちらかに属されるものだ。だが、男は違った。男の名はガラス。みてくれはジプシーを思わせるようだ。ガラスは誰にも期待されず、そして誰にも期待しなかった。ただ、自分と、そして神のみを信じていた。世界が一つになろうとしていた時も、ガラスは誰にも期待しなかった。ガラスは決して人間を憎まない。ただ、世界人が右を向くとき、ガラスは前を見、世界人が左を向くとき、ガラスは前を向く。ガラスは知っていた。世界で蠢く思想は、人間によって都合の良いように作られている。その思想は、人間を彼等あるいは彼女等の願う姿にさせる。だが、人間の願う姿ほど、醜いものはなかった。人間は、人間を超えることを求め続けていた。超克。人間を超えた存在とは。人間は神になることを願った。その為に、両翼を取り付けた。本来生えていた両翼を削ぎ落とし、新たに人間の力で両翼を取り付けた。そんな世界を見、ガラスはただ前へ歩を進める。人間たちはそのガラスに石を投げた。人間たちの投げた石は、かつてのガラスの姿に向けて投げられていた。ガラスは、かつて人間に信仰されていた。それはガラスの本意ではなかった。ただ、ガラスは人間に笑って欲しかった。ただ、ガラスは人間の悲しみを癒したかった。ただ、ガラスは慈愛の心を向け続けたかった。人間は、ガラスの跡を追って歩き続けた。ガラスは期待されていた。同じように、ガラスも人間に期待していた。だが、人間の期待に答え続けることは、決して容易なことではなかった。次第に期待への道が暗くなってゆく。しかし、人間はその道をゆくガラスを嬉々として見つめる。いつしか、人間の期待は嘲笑へと変わっていった。人間の期待。だが、いつからだろう。ガラスの両翼は粉々に砕け散っていた。ガラスは眠ることなく、歩みつづける。たとえその足に血が滲んだとしても。ガラスは歩みつづける。いつしかガラスは一人になっていた。かつて嘲笑していた人間はもういない。ガラスは一人だった。あたりは暗くなり、影も見えない。ガラスは孤独だった。誰の声も聞こえない、静かな世界。ガラスにはもうなにもなかった。両翼は砕けてしまった。家族も、友も、民衆も、誰しもが彼に着いてはこなかった。ガラスは空を見上げた。空には光り輝く幾つもの星々。その星々との距離はまだ遠い。そんな自分に涙を流した。いくら地を歩んでいても、星にはなれない。ガラスは祈った。民衆のために。星を見ることのできなかった、民衆のために。彼らはこの星を知らない。星空を知らない。自分はいなくなってもいい。だからこの暗闇を照らす星になりたい。ガラスはその時初めて気がついた。ガラスの期待していなかった民衆は、ガラスに期待をしていた。ガラスは民衆のために生きているようで、ガラス自身のために生きていた。ガラスはまた涙した。民衆は彼に着いてこなかったのではない。彼がそうさせていたのだ。彼は悔いた。そして、再び祈った。人間が遥か遠き星へ向かうための道標に、ガラス自身がなることを。ガラスの背中には、両翼が生えていた。その両翼は、光り輝いていた。あの星々のように。ガラスは飛ばなかった。再び歩んできた道を戻っていった。夜が明ける前に、彼らの下へ辿り着く。その時、彼は人間に問うであろう。人間よ、両翼を思いだせ、と。

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