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【日本を芸術で溢れかえらせる#2】第1回芸術の種をまく会

皆さんこんにちは!
板東威吹です!最近とても冷え込んできました、暖かい恰好をして風邪ひかないようにしましょう!
前回のnoteはご覧いただけましたでしょうか?
僕の芸術への思いや、目下取り組んでいることについてお話しています。まだご覧になっていない方は是非下のリンクからご覧ください!

さて今回は予告通り、先月10月に行った「第1回芸術の種をまく会」のサマリーをしていこうと思います。以下の順番で話をしていこうと思います。
最後まで読んでいただけたら幸いです。

第1回芸術の種をまく会

芸術の種をまく会とは?

会の内容について触れる前に、芸術の種をまく会とは何なのかについて説明をしておきましょう。
芸術の種をまく会とは、アーティストたちが自身と芸術の”いま”、”ありたいミライ”、”その行く手を阻む課題”についていろいろな面から話し合い、芸術の世界を中から変えていく場のことです。
僕自身がアーティストではないため、「日本を芸術で溢れかえらせたい」という自分の思いをアーティストとして形にすることはできません。しかし、芸術の世界とそれ以外の世界を繋ぐ橋として自分にもできることがあるはず、そんな考えから実施をしています。
この会を通して、芸術の世界が向き合わなければいけない現実を見出して(種をまき)、
共感してくれる人を増やして(種の種類や数を増やし)、
その現実に対してアクションを起こしていける(種を育てる)、
そんな場や文化を創りたいと思っています!

第1回芸術の種をまく会の概要

第1回芸術の種をまく会は2022年10月24日(月)に開催されました。
参加してくれたのは都内の某芸術大学に通っている3人の学生。いずれも元から自分と面識のあった方々でした。
お話した内容は以下の2つです。
①私と芸術
②私の思う芸術の問題(困っていること)

これら2つの事項について約2時間、意見の共有や議論を行いました。

第1回芸術の種をまく会の詳細サマリー

それでは当日話した内容の詳細を、先述の①②の順に、実際に出た意見等を交えながら紹介していこうと思います。

①私と芸術

このトークテーマはいうなれば自身がやっている芸術に関連する”自分史”を話してもらうものです。
「なぜあなたは、あなたの芸術(あなたの創作物)をするのか?」
「どうしてその芸術を志そうと思ったのか?」
「どんなふうにその芸術に出会ったのか?」
こんなことを参加してくれた学生アーティストにシェアしてもらいました。
参加者を
Aさん(漫画を描かれている方)
Bさん(音楽や芸能の場に参加、その場づくりをする方)
Cさん(琴を演奏される方)
として実際に出た意見を抜粋してご紹介します。

Aさん
Q.あなたにとって芸術とは?
A.自分にとって芸術(創作すること)は代謝とか排泄と言える
ただ汗を書くように目的なくそういうことをしたくなる。
できるだけいいものを創りたいという思いで、いうなれば最高に気持ちのいい排泄行為ともいえる。
Q.なぜ漫画という手段を選んだ?
A.より多くの人が楽しめるメディアだから。
美術館にはいかないけど漫画を見る人は多い。
現代アートという選択肢もあったが、それが抱えるねじれた構造(難民をテーマにした作品を出展してそれが売れたとして、そのお金が難民に届くことはない)が嫌だった。

”創作することは排泄行為と同じ”そんな意見が出るとは思いませんでした。
皆さんの生活の中で、排泄や代謝のように当然におこなっている排泄や代謝以外のことはありますか?
それくらい創作が自分の根源的な欲求や衝動と結びついているということです。

Bさん
Q.あなたにとっての”芸術”とは?
A.私にとって芸術は、音楽とか芸能の場に参加すること。
”参加する”っていうのは歌手とかアーティストのコンサートに行くというよりかは、目の前にいる人や時代を超えて、当たり前であったであろう物との出会いとか邂逅を果たすこと。例えば郡上踊りが感覚としては近い。
Q.例えばどんなものが自分の創作物と言える?
色々な立場の人が繋がれる、熱とか息を感じられるそんな作品がイイ。
歴史とかフィールドワークみたいなもの。
より多くの立場の人と関わって一緒に場づくりをするような制作。
それを率いていくような作家になりたい。

BさんはAさんと同じ学校の同じ学科に在籍されている方なのですが、全く違う作品を創られていることがわかります。
芸術というものの懐の広さ、あいまいさ、ゆえに言語化の難しさを感じました。
また、”より多くの立場の人と関わって一緒に場づくりをする”という点では、僕自身が今取り組んでいることとの関連性を感じました。
Bさんが実際制作されている素敵な作品の話も聞きましたが、たくさんの人を巻き込んでいる姿を見ていると「すごいな」「自分も見習いたいな」そんな気持ちになりました。

Cさん
Q.お琴とはどんな出会いをした?
A.小学6年生の時に始めた。誰かの影響というよりは、自分でやりたいと思って始めた。
当時はことを演奏するのがただただ楽しいとか嬉しいとか、そういった気持に没頭できるのが良かった。
でも受験とかに際して先生に怒られたりすると楽しくない、無理やり弾かされたりするところに自分の幸せはないなと感じる。
Q.自分のことをどんな奏者だと思う?
A.ソリストタイプではなく、みんなで創りたいようなタイプ。
感情を後押しすることが音楽の力だと思っているから、その人その人に寄り添った対話のような音楽をしたい。
音楽はコミュニケーションの手段だと思っている。

実はCさんとは以前何度か会ったことがあり、1度お琴の演奏も聞かせてもらったことがあります。
その時は”曲名を知らされずに、演奏を聞いてその曲名を予想する”というアクティビティをしました。
曲名を予想する時に表出する、僕含め聴衆ひとりひとりの感性と、Cさんの演奏がつながるような感覚がありました。
これが”感情を後押しする””コミュニケーションの手段としての音楽”なのかもしれないですね。

②私の思う芸術の問題

このテーマでは、アーティストである3人の生の感覚として「活動する中で困っていること、理不尽に思うこと」を教えてもらって、どうすれば解決できるのかを話し合うものです。
様々な意見が出たので、抜粋して皆さんにもお見せします。

・(先述した)現代アートのねじれた構造
・芸術として崇める必要のないものを芸術として崇めるような状況
⇒一部の人が”この作品がすごい理由を聞くな”っていうスタンスをもっているからこそ、美術に人が寄り付きにくい。
昔は絵具とかも高価で、美術をする人の割合もとても少なかった。
だからこそ美術がすごいものだとされていた。
でも今は誰でも描けてしまうからこそ価値基準があいまいになっている。
・芸術の敷居は下げるべきか否か?
⇒敷居が高いという認識はある。でも敷居が高いからこそ継承されてきているという事実もあると思う。だからこそ単に敷居を下げて大衆に迎合することは正解だと思わない。
・作品作りに協力的じゃない学校/周囲
⇒作品作りの相談とかインタビューを先生にしようとすると、協力的じゃなかったり、協力的だったのに活動が大きくなると断られたりする。
学生の活動が大きくなることに対して不信感や嫌悪感を持たれる状況に違和感を感じる。なにか悪意のある過小評価を感じる。

芸術全体に一石を投じる意見もあれば、芸術の教育機関に対する違和感も上がってきました。
どれも自分にとっては新鮮なものばかりでしたが、特に後者はアーティストとして活動している彼らだからこその違和感なのではないかと思います。
個人的に意外だったのは、”作品作りに学校や周囲の人間が協力的でない”ということです。普通大学にいる自分は、何かにチャレンジするとき、教授やゼミ仲間、サークル仲間たちが快くサポートしてくれます。
しかし芸術大学においてはそうではない、協力的でないならまだしも足の引っ張り合いのようなこともあるようで、それでは僕の考える”芸術が中から変わっていく”ことだったり、”対外的(芸術の外の世界とのつながり)なことを考える”ということにも抵抗感があるのではないかと感じました。

会を通して板東が感じたこと

さて最後に第1回芸術の種をまく会を通して、主催でありアーティストではない自分が感じたことを、
①主催・参加者として
②会の運営をするものとして
という2点で共有したいと思います。

①主催・参加者として

会が始まる前にどんな意見が出てきそうか、どういう風に話を展開していこうか考えていました。
しかし会が始まった瞬間に「板東さん、”芸術”ってどういう意味ですか?」という風に逆質問されるところから始まり、どちらのトークテーマでも全く予想していなかった考えや現状が飛び出してきて、自分にとってはいい意味でとってもエキサイティングな会になりました。

一つ気がかりだったのは”芸術と外の世界の繋がり”に関する議論があまり出なかったことです。活動する中での悩み事を話す中で、
「自分の創作物をどうやっていろいろな人に知ってもらえばいいのかわからない」だったり、
逆に「芸術に興味がある人が少なすぎる」みたいな話が出ると思っていたのですが、割と創作そのものに関わるような議論、”芸術の世界の中”の議論が多かったかなと思います。
僕の問いかけがオープンクエスチョン過ぎたのがいけないなと反省していますが、アーティストの持つ問題意識の中に占める、芸術とその外の世界との接点についての割合があまり多くないのではないかと感じました。自分の中ではこの点に強く問題意識があるので意外でしたし、なぜその割合が低いのか、その理由が知りたいと感じました。(彼らの中では接点を創る方法論とかが明確にあって、単に問題に感じていないということもあり得ます。)

②会を運営するものとして

ここでは運営側の事務的な面での反省をしようと思います。

其の一:意見の事前収集をしなかったこと
準備段階で各トークテーマについて事前に意見を集めることを考えましたが、参加率が下がる怖さから辞めてしまいました。
結果、予期せぬ意見にクリティカルな深掘り質問ができず、発散多めの議論になってしまいました。次回は参加率も下げず、きちんと事前に回答を集められるような方法を盛り込みたいです。

其の二:オープンクエスチョンばっかりだったこと
質問のうち「なぜ?」とか「なに?」の占める割合が多く、議論が発散しまくってしまいました。意見の事前聴衆と併せて議論の収束ができなかった大きな要因でした。

其の三:事後アンケートの回収率の悪さ
第1回開催ということもあり、試験的な部分・不安な部分が多い中で、事後アンケートの存在はとても貴重でした。
もちろん、アンケート自体は回答をお願いしましたが、お願いしたのが解散した後で、回答をすることに強制力がなかったため全員分回答を集められませんでした。
zoomを閉じる前に、回答してもらってから解散にするべきだと思いました。

たくさんの新しい視点と反省点をもらえて幸せでした!次回も頑張ります!

ちょっとだけ次回予告

実は【第2回芸術の種をまく会】開催が決定しています!
すこしだけ番宣させてください!

第2回は第1回の気づきにあった”芸術と外の世界との接点”に注目して話をしようと思っています。
ご興味のある、芸術系の学生、卒業生、アーティストの方奮ってご参加ください!
詳しくはこちらから。

今回のnoteはここまで!また来週くらいに!!!


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