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マシとマシマシの間

近所にラーメン屋がありよく行く、そこはヤサイ、アブラ、ニンニク、カラメと呪文を唱えるような店で、ヤサイマシマシ、ニンニク少な目、アブラ少な目と一つ一つカスタマイズして頼むのが面倒で、決まって「全マシで」と注文する。

ごめん嘘をついた、面倒というのもあるが店員さんとの接触を極力避けたい、店員さんに『チッ、めんどい注文しやがって』と思われたくない、がある。
比率で言うと1:4:5くらいだ、大嘘をついてしまった。

全マシにすると体感80%くらいの満腹感が得られるので大体満足して帰ることが出来る、ただ調子によっては100%を超えるときもあり、その時は若干後悔して帰る。調子が悪い日もあれば良い日もある、その時は60%ほどなのでこれまた若干後悔して帰る。

ある日、僕は調子が良かった、3日間何も食べていないなどという訳ではなく、『あ、コレ今日食える日だな』というのが直感もとい、過去からの経験でわかった。ちなみに3日間も食べないと胃が縮むのでいつもより食べられなくなるので、高級バイキングを控えているからと言って元を取るため断食をし、当日を迎えるという両津勘吉のようなマネはやめた方がいい。
こち亀は”※この人は特殊な訓練を受けています”が必要だ、いや、”※これはこち亀です”が正しいか…。

調子が良かったので初のマシマシを食べてみようと思った。店員さんに食券を渡し「全マシマシで」、すると「マシマシになりますとかなり量が多くなりますが大丈夫でしょうか?」と返された。思ってもいない返答に僕はたじろぎ「あ、いや、じゃあマシで」と答えてしまった。
なんとも情けなかった。保温を切ったまま忘れ、カピカピになった米を雑炊にしている時のように情けなかった。ジムへ行ったのに靴を忘れ何もせず帰る時のように情けなかった。お気に入りのマグカップを割ってしまうが、反応してくれる相手がおらず、無表情に淡々と片づけた一人暮らしし始めたあの夜のように自分が情けなかった。

案の定僕は全マシを美味しく平らげ40%ほどの余力を残していた。

”マシマシになりますとかなり量が多くなりますが大丈夫でしょうか?”
30文字以上ある、そんな丁寧な会話を望んでこのラーメン屋には来ていない。
いや、わかるよ、わかる。残されるとそれだけ不利益に働くのはわかる。僕も居酒屋で働いていたことがある、たくさん残されるとゴミの量は増えるし、発注に関しても狂いが生じる。残してほしくないのは重々に承知しているつもりだ。

”マシマシになりますとかなり量が多くなりますが大丈夫でしょうか?”
食べきれるかわからないが、いざという心持ちでマシマシを注文しようとしている僕のチャレンジ精神を折るには十分な文字数。もう3回くらい「あ、じゃあマシで」と答えている気がする。

そもそもマシマシとはどれほどなのだろうか?器に乗せるだけ乗せるのがマシマシなのか?
いつも食べているマシでも器はほぼ満たされている、なんならあふれていたりする。マシマシと言うだけあってマシ×2なのか?以前マシマシを頼む人を見たことがあるがマシ×2ではなかった、確かに量は多かったがマシ×1.3くらいだった、文字に表すとマシmだ。
マシ×2となると器がもう一つ必要になってくる、そんな人は見たことがない。

つまるところ、マシマシなんて概念だ、存在しているようで存在していない、誰しもを受け入れてくれるが誰も近づくことが出来ず、近づくことが許されない。マシマシに底はなく深淵だ。マシマシに近づかんとすればイカロスのように落下し死んでしまう。

深淵なのか太陽なのか例えをハッキリしてほしいところだが、マシマシは”なんだかよくわからない存在”である。
なんだかよくわからない、それ故に人間にとっての畏怖の対象である、つまりは神だ。マシマシは神だったのだ。

「はい全マシで、あ、ニンニクだけマシマシにしてもらえますか?」
ちょっとだけ神の加護を受けた。

そして今日も食に感謝し生きている。

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