ファストな時代

「ファストフード、ファストファッションの次はファストミュージックである」
これは僕が10年以上前によく話していた事です。
ふと自分の発言を思い出して今回この記事を書いてみる事にしました。
我ながら僕のこの予測というのはかなり鋭かったのではないかと思っています。

当時はニコニコ動画などの登場で歌い手文化が流行し始めていた時期でした。
音楽に関わる画期的な機材やソフトなどが手軽に手に入るようになり、誰でも気軽にDTMを始めやすくなったりそういう流れがあったのを記憶しています。
誰でも気軽に音楽が生み出せる時代、質の低いものも編集次第でそれなりの"良いもの風"に偽造できる時代、そんな時代を揶揄してこの発言をしたのを覚えています。

当時の僕は少し考え方が狭いところがあったのでネガティブな面に対しての着目が強かった事もありますが、実際に僕が想定していたネガティブな流れが起こっているのも事実としてあるとも感じています。
自分が音楽に携わる身としては気軽に音楽を生み出せるようになる事でリスナーが丁寧に作られた質の良い本物の音楽の価値が分からなくなるのではないか?という事を危惧していたのを記憶しています。

そんな僕にとって音楽のサブスクの登場は衝撃でした。
あらかじめサブスクという仕組みが生まれる事自体を想定していたわけではなかったのですが、サブスクの登場ほど分かりやすい音楽のファスト化を象徴する出来事はないなと感じます。
ちなみに今ふと気になって調べたところApple Musicの登場は2015年だそうです。
こうして過去を振り返ってみると時代の変化のスピードが本当に速く、油断しているとすぐに置いて行かれそうになる事は少し怖くもあります。

そして更にファスト化の流れを如実に表している出来事はTikTokやYouTube Shortの登場ではないでしょうか。
僕自身の興味の対象が音楽であった為にあまり想定していなかった事ではありますが、映像ももの凄いスピードでファスト化していったように思います。

また倍速視聴の浸透というのもその流れをよく表しているように思います。
タイパ(タイムパフォーマンス)という言葉を初めて聞いた時は衝撃でした。
手っ取り早くポピュラーなコンテンツに触れて流行りをササッと吸収するというような流れが流行りに乗りたい人たちの間で起こっているようです。

鬼滅の刃が流行ればそんなに興味は無くとも鬼滅の刃を倍速視聴でササッと観て話題について行けるようにするとかそういう話を知人から聞いた事があります。
コンテンツを純粋に楽しむというものとは程遠いコンテンツの消費が行われているのを感じます。
まるで仕事をしているかのようです。
(本当に仕事としてそれが必要な事なのであれば、まだ理解できるのですが)

このように急速に世の中の流れが変わる時代というのはどうしても世代によって価値観が変わってくる傾向があります。
上の世代の人たちはどうしても新しいものを受け入れない傾向にありますし、下の世代の人たちは特にそれまでの時代の流れなどは考えずに素直に今あるものを受け取るでしょう。
昔はレコードだった、CDだった、MDだとかカセットテープなんてものがあった、そんな昔の話をされた所で特に興味がないというのが若者の本音ではないでしょうか。
そう思うのは、僕自身がiPodが全盛期だった頃にレコードだとかMDに興味を持つ理由などまるで無かったからに他なりません。

時代の流れによって価値観は変化していく事が自然であって、その流れに乗れないものはどんどん時代に遅れて淘汰されていく、この流れは防ぎようがないものでしょう。
それ自体が悪い事だとは僕自身も全く思いません。
しかしその中で必要なものまでも失われていないかという事は注視していく必要があると考えています。
基本的な法則として量を求めれば質が低下する傾向にあります。
質が低下する事を受け入れてその上で量を求める事、質の悪いものに慣れていく中で自分たちの感覚が劣化していく事、そもそも劣化している事にすら気が付かない事、それを良しとするのかどうか。

僕はファストミュージックという言葉を使って時代変化を皮肉を含んだニュアンスで指摘した立場でもあるので、質より量を求めて質と共に人間の感性が劣化していく事は良くないと明確に感じています。
しかし何が良くないのかと問われると答えるのが難しいのが正直な気持ちです。
何故ならそれは個人的な感想に過ぎないからです。
「僕にとっては良くないから」というのはポジショントークに近いものがあるように思います。
逆に僕がこだわっていない、あまり重要でない事に関しては僕自身ファストなものをあっさり受け入れる事もあります。
それが分かるが故にファストミュージック批判は僕のポジショントークであると思うのです。

音楽が大好きすぎるあまりにこだわりが強くなっているのはフラットな状態ではないのでそこは偏りがあると思います。
僕の感想というのは音楽が大好きでこだわりが強い人側に寄った感想に過ぎないのです。
しかしファストになっていく事によって失われていくものがある、これだけは確かなのかなと思います。

僕自身もファストになる事自体が絶対悪であるとは思っていません。
というのもやはり誰でも気軽に音楽を聴けるという事自体は良いと思うからです。
実際、音楽のサブスクが普及してから聴く音楽の幅が広がったという人も多いでしょう。
20代前半の若者が自分の世代ではない音楽にサブスクを通じて出会ったり、そういう奇跡的な出会いが起こる事もとても良いと思っています。
まるで音楽のマッチングアプリのようだなと思います笑

その為、ファストになる事の利点を認めた上で、ファストになる事で失われたものは何かを考える事が大切なのではないかと考えています。
ネガティブな内容が多くなってしまいましたが、この先何も希望がないとは僕は思っていません。

唯一希望があるとしたら、失われる事によって見直される価値があるのではないか?という事です。
サブスクの時代にレコードを買う人が出てきている事などが例として分かりやすいでしょう。
昔のものがヴィンテージ的に価値がつくという流れも含め、時代変化で何らかの価値が失われる事でその価値の尊さに気づく人が現れる、このような発想もできるでしょう。
つまり誰でも気軽に音楽が作られる時代にこそ、全くもって気軽じゃない作られ方をした音楽の価値が見直されるのではないか?という発想です。

ファストな時代には必ずアンチファストがいます。
服で例えるならUNIQLOやguが浸透してこだわりの強いファッションブランドは減っているのかもしれませんが、ちゃんと生き残っているブランドがあるのが何よりの証拠です。
広く浅く浸透する文化と狭く深く浸透する文化、つまりファストとアンチファストの分断あるいは二極化が想定できます。
この分断や二極化を仮にファッションで考えるのであれば、中間層がファストファッションとの差別化、ハイブランドとの差別化という意味で中途半端なのでもしかしたら1番難しい立ち位置にいるのかもしれません。

音楽に関しても仮にAIで音楽を作るというのが普及したとしても、人間が作る音楽との違いというものが浮き彫りになるような気もしています。
ああやっぱりAIでは限界があるなと、人間が感情を持つ生き物である限りはそうなる可能性が高い気はしています。
仮に感性が劣化した人間たちが自分たちの作り上げてきた尊い文化が容易くAIに代替される事に疑問を持たないとしたら、それは僕にとっては最悪の事態でもありますが。

こうして書いていて思うのは、論理的にどうであるというのは一切抜きにして、自分の感性が喜ぶかどうかという感覚は人間特有の尊いもので僕はそれを大切に生きていきたいなと思いますし、そこを大切に生きている人の方が好きだなと思います。




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