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Vol.5 小倉(こごい)の謎を解く~山梨県小倉の地へ、講演会に参加~

 なぜ、私の名前は小倉と書いて「こごい」と読むのか。身内以外に居るのか。ルーツは何かを求めて2021年9月から調査を始めた。代々受け継がれ、聞いてきた事はVol.2でまとめている。輿水秀人先生の書籍「小倉(こごい)の謎を解く」との出会いはVol.3に記載。そして奇跡的に輿水先生から連絡があり(Vol.4参照)、とうとう小倉のルーツである山梨の地を訪れる時が来たのだ。

 今年の9月中、「小倉(こごい)の謎を解く」の著者である輿水先生から山梨県北杜市で行われる講演会の案内を頂いた。北杜市の教育委員会が主催する地域の方々に向けた土地と歴史に関する講演会。講師は輿水先生。昨年、輿水先生がこのnoteを読みTwitterからDMを頂き、繋がることが出来たのだ。それ以来、山梨を訪問したい、小倉村(現在:こごえ)に足を踏み入れたいと思っていたがコロナ禍による行動制限から機を待っていた時だった。丁度、訪問するにはいい機会。また貴重な講演を聞けること、ルーツである小倉の地を見ることができることなど11月まで待ち遠しかった。

小倉(こごい)の謎を解くの著者、輿水先生による講演会

 そして、10月の後半、先生より講演の冒頭で5分ほどスピーチをして欲しいといった依頼があった。ありがたい話だと思い迷う事なく引き受けた。小倉のルーツを知りたい、親族以外の小倉という名の人に会いたいと思い、始めたこのnoteでの記録。より小倉を知っていただくために講演に参加させて頂き、お話出来ることは大変ありがたい話であった。

 当日、山梨は快晴。東京から約3時間電車で移動。中央線が人身事故のため1時間ほど到着が遅れ、ひやひやしたが無事に山梨県北杜市にたどり着くことができた。輿水先生とはメールやLineでやり取りしていたものの、これが初対面。本当に不思議な感覚だった。この地に呼び寄せたのは一冊の本、この本がなければ、輿水先生が書いていなければ、辿り着くことは出来なかった。

軽く打合せを行い講演が開始。コロナの為、席は半分程度に間引かれていたが約160人もの方が来場された。

 子供の頃からどうして「こごい」と読むのか不思議に思いながら過ごした日々、輿水先生の本との出会い、祖父や父から聞いていた山梨がルーツなのは正しかったこと、そして、この地に降り立つことが出来た喜びと感謝をスピーチで伝えた。

来場者から何故か「小倉(こごい)の謎を解く」にサインを求められる
輿水先生に小倉の発祥とされる地域を案内して頂いた
現在は「こごえ」と読む かつては「こごい」だったと輿水先生が証明してくれた 詳しくは「小倉(こごい)の謎を解く」に記されている

この地に来れた事は、800年以上も前になる小倉の祖先や山梨から和歌山に辿り着いた小倉惣兵衛、そして天国の祖父も喜んでいるだろう。

須玉町小倉は、空気が澄み渡りとても綺麗な場所だった。

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