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Vol.3 小倉(こごい)の謎を解く~国立国会図書館で出会う~

なぜ、私の名前は小倉と書いてこごいと読むのか。他に居るのか。ルーツは何かを求めて今年の9月から活動を始めた。ネット検索では分からない。代々受け継がれ聞いてきた事はVol.2でまとめている。

まずは、手に入らない書籍「小倉(こごい)の謎を解く」を読む事だった。2014年に発刊されたものだが、本屋、ネットでは手に入れることが出来なかった。出版社に連絡しようとしたが検索しても出てこない。出版社は、まんどりやま出版。2014年頃にエゴサーチでたまたま見つけた書籍だった。「こごい」というワードが目に入ったときは驚いた。他人が書いたこごいというワードを初めて見たからだ。様々な書店に問い合わせたが取り寄せは出来ず、Amazonも取扱不可となっている。
唯一、駒澤大学と山梨の図書館にあることは図書館データーベースで把握していた。それから約7年。いつか駒澤大学へ行こうと思い続けていた。

今月のある日、4月から東京に越してきたこともあり、本の存在を思い出した。早速、駒澤大学の図書館へ電話をする。書籍の確認は出来たが現在は緊急事態宣言下で入館出来ない。いつ入れるか分からない状況。すると大学図書館の方から国立国会図書館にあることを教えてくれた。とてもありがたい対応だった。

早速、国立国会図書館へ電話した。国会図書館はコロナ対応で入館の人数制限をしていた。希望日をネットから応募し当選すれば入館できる。
予約し、1週間ほど待ったが入館する事ができた。
半ば緊張しながら国会図書館へ出向く。様々な人が調べ物をしている。棚に本がある訳でなく、端末から希望の書籍を頼みカウンターで受けとるシステム。外部への持ち出しは禁止である。

ようやく出会えた書籍。カバーはなく、縦書きに
「『小倉』の謎を解く : 山梨県北部の地形と地名・歴史を探る」と書かれている。約250ページある書籍。著者は輿水秀人氏。

恐る恐る、興奮しながらページをめくり読み始めた。
親や家族にもこの内容を伝えたい。ノートにメモしながら読み進めた。
10時に入館し昼食は図書館で済ませ、気がつくと閉館する17時だったが読み終えることが出来た。

以下に分かった事を記す。

史実
・山梨県に小倉(こごい)村があった
・現在は小倉(こごえ)と読みその地区は存在する
・江戸時代前までは小倉(こごい)と読んでいた
・初めて小倉と名乗ったのは源義光の四代目源光長
・平安時代に源光長は小倉太郎と名乗った
・室町時代は武田家に仕えていた
・武田一族が天正壬午の乱で敗北後、小倉村は一度消滅
・その後、真田信昌らにより小倉村は復興された

筆者推測
・和歌山に小倉があるのは武田の後、甲斐国を支配した浅田長政の家来であったため、浅田氏が和歌山城に移ったときに移住した
・なぜ小倉をこごいと読んだかは、山梨の小倉村が出来た地形に由来していると推測
・こごは崖を意味する、いは居るを意味する
崖のある村という地形からこごいと呼ばれた
・次に漢字で小倉となぜあてがわれたか。大小の倉庫がこの辺りにあったとされている。小さい倉があった方を小倉とした
・現在は小倉(こごえ)という住所名で残っている。江戸時代前は確かに小倉(こごい)と言う読みで残っている。こごいが本当でこごえは佐藤八郎氏の著書から変化したが筆者は間違いと指摘している

以上がこの本の全貌だ。
結果、山梨が発祥の地であることは間違いない。今も刀が残っているよう(Vol.2参照)祖先は侍。難読の地名は日本の至るところにある。小倉もその一つ。由来はその地形からとされている。

ここで謎が未だ残る点
・小倉という名は我々家族以外に存在しているのか
・祖父が残した家系図から祖先は林と名乗っている。なぜ途中から改名されたか
・和歌山県立図書館に残る文献には徳川頼宣と共に祖先である小倉惣兵衛が和歌山に来たとされている。浅田長政の時も別の小倉が来ているのか。何にせよ、源→武田→浅田→徳川の流れは歴史上不自然ではない。

疑問は多少残ったままだ。次は山梨県にあった小倉村を一度訪れてみようと思う。

Vol.4 著者に手紙を書くにつづく

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