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311を今じぶんのこととして語る

本当は気になっていた原発のこと


今日は、井崎敦子さんとフリーライターで原発や放射能問題に詳しい守田敏也さんの対談だった。主催した自主保育グループを代表して司会をやらせてもらった。

今回のお話会は、「じゃあ、どうする?~未来を描く小さな一歩のお話会」と銘打った。日常に追われて忙しく、今さら原発や食の安全について話す機会も、聞く機会も少なくなってるけど、本当はもやもやしてる…そんな気持ちをみんなで分かち合いながら、小さな一歩でいいから未来へつなげていけないかな?というような趣旨で開くことを決めた。自主保育の仲間たちの、素直な気持ちからの企画だった。

20名ほどの参加者さんお一人お一人の思いを聞かせてもらった。家族のなかでの意見の相違や、給食の安全性への懸念など、みんな、それぞれに悩み、考え、葛藤や悲しみを抱えていたり、そこを乗り越えて新たな地点に至ってる人もいた。個人的にはみんなの話の一つ一つがとても身につまされるもので、同時に、自分のなかで誤魔化していた痛みに気付かされ、向き合わなければいけないなと刺激された。

お仕事柄、沢山の場所で沢山の人の話を聞いている井崎さんと守田さんの、視野の広いお話のおかげで、こうした一人ひとりの真剣な思いが、全国、世界的にも今、すごいパワーを持って動き始めていることも感じられ、希望が見えてきたすごくいいお話会だった。

身近な人との意見の違いをどう乗り越える?

また、福島原発事故以降、程度の差はあれどんな人にも降り掛かってきた、身近な人の中での意見の対立について「どうやって意見や立場の違いを乗り越えるか」ということも切実なテーマのひとつだった。

井崎さんは、こうして、まずは似たような思いを持つ人同士で繋がっていくことがすごく大切で、その小さなグループ同士が繋がっていけばいいのでは、と仰っていた。

守田さんからは、相手のやってきたいいところをまず認めることで話がしやすくなるという、ヨウ素剤配布に向けて篠山市などで地元の方たちと折衝を続けてきた際の具体的な例を紹介してくれた。
また、家族とは一番話しをするのがむずかしいものだよ、でもきっと少しづつは伝わってるし、自分の姿勢を見せていくのが大事だよ、という直面してる人に励みになるような言葉も。

そして、「ん?」と疑問に思うことをネットだけで調べたり不信感だけを募らせるのではなく、たとえば府の放射能測定所のようなところへ直接行って確かめたり、その現場の人たちと対話したりしていくことが必要だとおっしゃっていた。それが、社会を動かしていくことになる、というお話も出た。

学生運動や安保闘争など社会運動の経験そのものが少ない世代の私たちに、人生の先輩方から、くすぶっている思いや不安を、どうエネルギーに変えていい形で外へ出して世の中を動かしていけばいいのかを教えてもらえ、こういう世代間の(というほど歳は離れていないけど)継承の大切さもとても感じて有り難い場だった。

現在の放射能の状況や国の方針など、暗澹たるお話も聞いて、どーーーーーーーーーーーーーん、という気持ちにもなったけれど、全体的には本当に真剣かつ和気あいあいと、みんなでこれからどんなことをやろう?という希望に繋がるようなものだったように思う。

主催した側としては、子連れの人も多くて、子どもOKと書いてあったからとか、子育て中の似た悩みを持つ人と繋がりたくて、と言ってくれる参加者さんもいたり、ご年配の方もいたり、同じ意識を持ついろんな立場の人が来てくれて嬉しかった。

蓋をしていた痛みに気づく

けれど、帰宅して一人になった時(子どもはいたけど)、私の体には悲しみが広がっていた。
冒頭にも少し書いたけれど、参加した皆さんの、切実な思いや痛みがカンフル剤となって、自分のなかで見て見ぬふりをしてきた悲しみや痛み、誤魔化してきた自分への疑問、現状の厳しさへのショックなどなどが出てきたのだと思う。

これまで、私は、色々気をつけている方ではあったけれど、311のこと、フクシマのことを、きちんと自分の中で考えたり言葉にしたりしてこなかったと思う。ちょうど自分の心身を崩して回復に専念していた時期で、あんなに大きな出来事だったからこそ、2011年から数年間の私には、正面きって向き合うことが出来ないできた。そしてそのまま、子育てに突入し、気にはなりながらも向き合う機を逸したままだったし、世の中の、「もうその話はいいよ」的な雰囲気に飲まれて敢えて話すこともないままにきていた。

でも今日、この痛みに気づいてしまった。

そして、もっともっと、このことについて、自分の言葉で自分のなかに閉じ込めていた思いと向き合って、表現していくところから始めたいと思った。

私だけでなく、多くの人が痛み(原発事故から派生した人々の対立や分断、不信、不安、無力感、他人事としてスルーしている無意識の罪悪感なども含めた痛み)をもったままで、日本全体がほんとうはまだ傷ついていて、ケアが必要なのではないかとも、今さら、勝手に、思った。

だからこそ、まずは自分から、自分のなかにあった痛みをちゃんとケアしたいと思う。どこまで書けるかわからないけど、私にとっては書いて出すことは瞑想やセラピーと同じくらい自分の癒やしに繋がるので、これから少しづつ、「私にとっての311」を書いていきたいなと思っている。
【2024追記:その後全然書けていない…】

人生でもビジネスでも社会活動でもなんでも、色々と思いをもって事を進めるときに大事にしたいことがある。

痛みや傷を無視したり、放置したまま進むのではなく、完全に傷が癒えることはなくても、傷の存在を自覚し、ケアをしながら、その存在とともに進んでいくこと。

それは遠回りなようでいて、一番無理がなく、健やかに、未来へ進む道だと思うから。

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