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人生を迷い見つめた自由詩三篇【挿絵付】「何処かへつづく道なのなら」「翼と虹」「身体と銀河」

何処かへつづく道なのなら


「何処かへつづく道なのなら」


何処かへつづく道なのなら、
歩みを進めることができるのだろうか。

そのむこうに何かがあるのなら、
一歩をふみ出すことができるのだろうか。

今は闇に堕ちて蔦の茂る眼の前であっても、
その先に、
たとえただの「何か」に過ぎなくても「何か」、
「しあわせ」でも「繁栄」でなくても「何か」があるのなら、
この道を踏み外さずに、
ぱっくりと口を開ける側溝の闇に呑まれずに、
生きることができるのだろうか。

眼前彼方にぼんやりと光る遠き街、
きみが桃源郷ではないとしても、
私の前に、
いつかはたどり着ける場所に
たしかに在るのなら、


この足裏の痛みに、
ざりざりした土の感触で
涙を零すこの瞬間に、
何かの意味を信じてもいいのだろうか。



翼と虹

太陽を掴みたければ
天へ羽ばたけと言う人がいる。

より強く力を込めて、
より高くより遠く、
いつかは羽がチリリと焦げるまで。


けれどあるとき気づくのだ、
じぶんの背中には
もう翼がないことを。

ここまでじぶんを運んできてくれた相棒は
灼熱の炎に溶かされたことを。

そしてそのとき気づくのだ、
ほんとうは太陽を欲してなどいなかった
ということを。

地上に降りてうずくまって泣いたとき
涙の泉も枯れたとき
ふとそのひとは気づくだろう、
あたらしい芽生えが
胸の奥にあることを。

やわらかな裸足で野をかけて
水たまりにかかったちいさな虹をみつけたとき
そのひとは
気づくようになるだろう。

このちいさいものを
守るための力が欲しいのだと。



身体と銀河

合唱曲の『COSMOS』を、今朝ふいに思い出した。

君の温もりは宇宙が燃えていた 遠い時代のなごり
君は宇宙

100億年の歴史が 今も身体に流れてる
『COSMOS』歌詞より

わたしの身体は、
他の誰かのもののわけではないけれど、
わたしだけのものではない。

何億もの命が重なって
何千もの想いと愛が重なって
生まれ落ちてきたものだ。

命と想いの歴史が
わたしの身体という器の
中には流れていて、

その意味で、
わたしの身体はそれ自体が銀河であると同時に
銀河の中のひとつの生命の光だ。

わたしの身体の質量は
そういったオモいのオモみであり、

だけれどそのオモみをオモうと、
わたしは少しだけ、
生きるということの痛みが
かるくなったような心地がした。



さいごに


「人生を迷い見つめた散文詩」と題しましたが、
わたし自身まだまだ若輩者で
ほんとうに「人生を見つめ」られているのかはわかりません。

(そもそもこれがほんとうに「自由詩」であるのかも不確かです。笑
たぶん合っていると思うのだけれど、、)

でも、いま心の病に悩む中で、
いちばんつらく沈んだときとそこから浮き上がってくるときの狭間あたりで
心に浮かんできた文章を書き留めています。

そういうときはいちばん心が「キュッ」となる瞬間だと思いますし、
いちばん「切実さ」というものが現れる瞬間なのではないかなぁと思います。

こういうときに書いた文章を読んで
あとからなんだか恥ずかしくなったり
まだまだ未熟だったな、と思ったりすることがあるのかもしれないけれど、

わたしという一人の人間の人生の中に
こういう瞬間があったのだということを記録しておけたら良いな、と思ってこの三篇を綴りました。


それでは、皆さまの日常に一分一秒でも多くの安らぎがありますよう。

最後まで読んでいただき、ほんとうにありがとうございました。


Mei(メイ/明)

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