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37/* 縦に振れない首もある

昨日アップした歌詞に、さっそくメロディをあてて曲にした。なんとなくイメージはあったから、30分くらいで。ボイスメモに録音して、何人かの友達に送る。すぐコメントがくる。ある人には、この曲編曲してくれい!と丸投げする。そしたら今日には、編曲後の音源が送られてきた。30分くらいで作ったやつ、と添えられて。

早いことが良いことだとは思っていない。けど、心地よいスピード感というものは確かに存在する。

心地よく生きたいけど

心地よいと感じるスピード感は、局面によっても変わる。仕事と趣味で、健康な時と風邪気味な時で、昔と今で、全然違う。シチュエーションによっても違うだろう。ご飯を食べる速度、歩く速度、お酒を飲む頻度とかもそうかも。ひとはみんな、慣れ親しんだ心地よいスピード感を持って生きている。

そのスピード感でもって、ずっと生活できれば一番いいんだけど、どっこいそうは問屋が卸さない。心地よいスピード感は同じ局面をきりとってみても、人によって異なるから、だれかが速度を落としたり早めたりして適応する必要がある。

その適応が、場合によって非常に困難なときがある。ここだけは譲れない。ここだけは許せない。ここだけは引くことができない。ルフィでいうところの、「俺は海賊王になる男だ!!」的なそれ。僕にだってそれはもちろんある。ここだけは譲れん、と思ったとき僕は、たとえ顔が笑っていようが絶対に首を縦に振らないと決めている。

ブレないだけが強さじゃないけど

軸を持ちましょう、ってよく聞く言葉だ。ブレない人間になりましょうとか。僕の縦に振れない首も、いわばその軸の部分で、頑固なところだ。でも僕は、ブレないだけが強さではないと思っている。時に世間に迎合することや、歯を食いしばって他人のスピード感に合わせることだって、立派な強さだ。

だけど。

だけど、それでも、どうしても、譲れないデッドラインの一つや二つはあるもんだ。ここで首を縦に振ったら、全てが台無しになってしまう。自分のことを自分で否定することになってしまう。そんなときは、どんな形であっても良いから戦う姿勢をみせること、戦える意思をもっていることは、大切なことだ。

夏目漱石の有名な一説にはこうある。

智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
夏目漱石 『草枕』

これだけ読むと、生きてけないやん!と思うかもしれないけど、僕はこの後に続く文章が結構好きです。救われはしないけど、確かにな、と思える気がして。

今日は終わり。

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