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98/* デリカシーの本質を問いただす

「蟻の穴から堤も崩れる」。こんな慣用句があります。あ、余談ですが僕のnoteにはしばしば諺とか慣用句が出てきます。言葉が好きというのもありますが、自分の伝えたいことを煮詰めて行くと諺に辿り着いてしまう、というのもあります。これだけたくさんの様々を、これだけ簡潔な言葉で示してくれた先人はやはりすごいです。

本題に戻って、ほんの僅かな不注意や油断も大事を招きかねないよ、と慢心を諌めるこの言葉を、僕はいろんな物事に当てはめて考えることがあります。たとえば、感情。

人の感情は様々な要因をもって揺さぶられます。圧倒的な、おおきな要因をもって感情が強く揺さぶられることもあれば、なんてことない小さな行いが積もり積もって強い感情を抱かせることもあります。強い感情というのは例えば、愛とか、憎しみとか、そういったものでしょうか。蟻の穴から愛も憎しみも生まれる可能性はあります。

どういったたとえで話すのが適切かわかりませんが、小さな行い、というのは目に見えるものではなかったりするので、自制がとても難しいです。例えば、「デリカシー」なんかはそれに近しい概念な気がしますが。デリカシーは主に気配りとかそういった意味で用いられますが、なんだか本質はそこじゃない気がしています。

昨日だか一昨日だかの日記でも同じようなことを書きましたが、小さな要因の積み重ねは、良くも悪くもおおきな結果を招く可能性を秘めています。一つ一つの要因を問いただしてみれば、なんだ大したことないじゃんと思うようなことも、それが積み重ねられることによって生み出す威力は計り知れません。僕は、デリカシーの本質がそこにあるような気がしています。

すなわち、小さな要因やそれの積み重ねが生み出す力を軽視して、大きな結果ばかりにとらわれる人、そんな人が「デリカシーがない人」と形容されるのではないかな、と。そもそも気配りなんてものは、覚えてできるものでもないので、根本的な心の持ちようを変えない限りは、手に入れることができません。こと対人関係において慢心や油断を持つ人は、デリカシーのないことが多いな、と感じました。

人の想いとか感情は特に、小さなことの積み重ねで常に揺れ動いて行くものだと意識をし続けること、それが気遣いのスタート地点です。あくまでも自省の念を込めて言っておきますが。

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