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150/* 知的好奇心を獲得せよ
僕が考える知的好奇心の獲得までには、いくつかの段階がある。回りくどい言い方をするならば、こんな感じだろう。
①「知らない」ということすら知らない段階
②「知らない」ということを知る段階
③「知らないこと」を知ろうとする段階
①「知らない」ということすら知らない段階
これはまだ知的好奇心獲得以前の段階だ。いわば無知。習っていないことや知らないことが定期的に供給される学校を出てしまうと、意図的に出会いに行こうとしない限り、なかなか新しい知識には出会えなくなってくる。
現状に満足して知ったつもりになるのは無知の典型だ。まずはここから抜け出すことが、知的好奇心獲得の第一歩だ。
②「知らない」ということを知る段階
状況的には①と変わってないかと思われるかもしれないが、実情は全く違う。知らないということを知るというのは小さなようで偉大な一歩なのだ。皮肉なことに、無知というのは非常に居心地がいい。無理も変化も強要されないからだ。
この道路の下に何が眠っているかなんて多くの人が知らないし、気にかけないように、僕たちが近くしている上層の世界の下には、まだまだたくさんの真実が眠っている。
それに気づくということは、変化するか否かの選択を迫られているのに等しい。何より、新たな知識を手に入れるということは新たな境地へ踏み込むことを意味しているし、そこには勇気や決断が必要だからだ。
③「知らないこと」を知ろうとする段階
そして、変化を受け入れ決断を下すとようやく、知的好奇心を獲得することができる。当然、知ろうとするだけでなく、知るために何が必要で、何を学んでいくべきかを実践していかなければいけないんだけれども。
知りたい欲、というのは実はとても執念深いものだと思っていて、一度知りたいと思ってしまったものは、何が何でも知らないと気が済まないのが人間の性でもある。その熱量こそが、知的好奇心の正体なのだ。
さらにいうと、学びを習慣的にしている人というのは、このサイクルを永遠に回り続けている人なんじゃないか。新たな知識への過程や、獲得の先には、必ずと言っていいほどまた別の知識があって、変化することへの決断を絶やさない限りは永遠とこのループを回り続けられるのである。
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一般的に、知的好奇心の薄い人は知りたい欲が少ない人だと思われる傾向にあるように思うが、実はそうではなくて、変化を受け入れる決断力のない人のことをいうんじゃないだろうか。
あるいはその変化に抵抗を抱かせないようなアプローチをしてあげることが、教育のうちの一つなのかもしれない。
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