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なんだかんだ言って、

「なんだかんだ言って」なことをまとめた。

なんだかんだ言って、変わりたくない

中学、高校へ入学して、大学へ進学して、その度に周囲の友達が変わってゆくような気がして、なんとなく寂しい思いを持っていた。でも多分、変わっていったのは僕の方で、変わらないでいようとする周囲から勝手に離れていっただけなのかもしれない。

なんだかんだ言って、みんな変わりたくないし、変わろうとしない。そこに留まるために、必死に言い訳を探して、変わってゆく人を必死で否定して、変わることが悪いことだと言い聞かせている。その場から一歩も動かずに、欲しいものが得られると思っている。

なんだかんだ言って、頑張りたくない

意外と人は努力が苦手だ。気を抜いたらすぐサボろうとする。大人になればなるほど、上手なサボり方を身につけて、頑張っていると錯覚して誤魔化そうとしてしまう。

現実とか、事情を盾にして話をする人は苦手だ。そんな人には、本質的な言葉が届かないから。現実とか事情を盾にして話をする人の典型は、「だって、」から話を始める。言い訳や否定ありきで思考するから、言葉が届かなくなるのだ。

なんだかんだ言って、皆しんどい

「だって、」と話し始める人は、自分のことしか考えられていない。そういう人に限って大抵、自分は頑張ってるとか、自分は大変なんだとまくし立ててくる。その度に毎回、いや知らんがな、と思う。

なんだかんだ言って、皆しんどい。大変だし、それぞれ事情を抱えながら生きている。でも皆、「だって、」を言わないようにして生きているだけなんだ。自身のウィークポイントを勝手に肥大化させて人に押し付けるのはやめたほうがいい。

なんだかんだ言って、自分が一番

というのも、結局みんな自分のことが一番好きなんだ。人の事情なんて知ったこっちゃない。自分一人が生きるのにも必死なのに、人の事情を察していられるほどお人好しじゃ居られないぜ、と根底では思っている。

人という字は人と人とが支え合っている姿、とどこかの熱血教師が言っていたが、あれは綺麗事だ。人と人とは互いが自立しあってこそようやく、対等で善良な関係が築ける。食欲、性欲、睡眠欲以前に、自己愛を満たせないとき人は人を憎悪するからだ。

なんだかんだ言って、人と居たい

とはいえ一人で生きれば自己愛が満たされるというわけではない。本当の孤独を人は嫌っている。孤独が何より、自己愛を傷つけるものだと知っているからだ。

でも本当に人に興味や関心を持って、心や耳を傾ける人は多くはない。自己愛や安心を満たすためだけの、マスターベーション的な発想で人間関係を築いているだけだ。でもそれって信頼関係と呼べるのでしょうか。


ぼく、わたしは違うと思ったあなた。これはそんなあなたに届ける言葉です。

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