おでんの惨劇を思い出す
何年前になるだろうか。ぼくが小学生とかそのぐらい昔の話だ。
ある日母親がしばらく家をあけることになった。不在期間、ごはんの足しになればと大量のおでんをこしらえてくれていた。寸胴のような大きな鍋に、あふれんばかりのおでんだ。
当時のぼくに自活能力など皆無に等しく、家に残されたぼくと兄は、毎日おでんを温めて、すこしずつ食べていくことにした。
ところが数日たったのち、おでんの汁に粘り気が出てきて食べられない感が急浮上してきた。
そう、大量のおでんを腐らせてしまったのだ。
これから食べ繋いでいくためのおでんへの期待や、その他さまざまな思いやりなどがあいまって、おでんを腐らせてしまった絶望感にぼくと兄は強く打ちひしがれた。
この「おでんの惨劇」は、いくばくかのトラウマを孕んで今や笑い話となっている。
後から調べてわかったことだが、菌は40度前後の温度が一番繁殖しやすいのだそう。温めるときしっかり沸騰するくらいまで温めれば良いらしいが、鍋が大きく熱し切らない中途半端な温度で放置し続けたことが、敗因だったようだ。
「おでんの惨劇」はまるでとんち話のようだ。なんだかたくさんの教訓を孕んでいる気がして、今でもふっと思い出すことがある。
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