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125/* 素直でいるには体力がいる

今日のこの日記を書くのに、三度書き直した。正確には、三つ分の拙い下書きが貯蓄され、今ここにいる。僕は割と、”たかが日記”感覚でnoteをつづけているので、書くことに悩むことはないに等しいのだが、なにかぶるっと震えるような出来事があると、今日という日に何を残すべきか、と考えてしまう。

ぶるっと震えるような出来事というのは、別に怖い出来事ではない。嬉しい出来事があったりすると、心にジーンとしみるような感情が流れ出す気がするが、それとおんなじようなものだ。僕にとってのぶるっ、は武者震いの類で、言葉にしようがないくらい心揺さぶられる時なんかに、ぶるっとする。例えばエリッククラプトンの武道館ライブを観たときなんかには、かなりぶるった。

ぶるった時というのは大抵感情が高ぶっている。この喜びを誰かに伝えようとしても、言葉はすごく平易で陳腐なものになってしまったりもする。しかし、自分という存在に素直でいられるということは、とても尊いことだ。平易だろうが、陳腐だろうが、素直さから生まれた言葉には力があるし、それを発する自分自身が、何より一番気持ちがいい。

嘘をつくより、素直でいることのほうが体力がいる。そこに悪意がないからこそ、替えのきかない感情だし、突き通すにも意地がいる。だからこそ、人は嘘をつくことに流れてしまいがちなのかもしれない。嘘というのは便利なものだ。いくらでも替えがきくし、言い訳だってできる。心の中で、「どうせこれは嘘だから」と割り切ってしまえば、どんな融通だってきく。罪悪感だって、慣れてしまえばきっと心地の良いものだ。

でも、だから、そんな見せかけの心地よさが蔓延する世界だから、意地を通すことが面白いし、気持ちがいい。それがどこかで響いたときには、それこそぶるってしまう。

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