吾輩は案山子であるという話
名前は特にない。
この、"案山子"という名義で文章を書いていると、度々尋ねられることがある。
「一体どうして"案山子"なんですか?」とか、「名前の由来はなんですか?」とか何とか。
気になるのももっともだ。
"か・か・し"という単語を聞くと、まず間違いなく畑のど真ん中にぽつんと立っているあいつの事を想像するだろう。第一印象という名の偏見で、とりあえず孤独なやつとか寡黙なやつとか思われていそうだ。しかも、それをわざわざ"案山子"と漢字表記にしている辺りに、中の人の偏屈っぷりが伺えないこともない。
事実その通りである。
一人の時間・空間を大事にし、どちらかと言えば話し上手でなく聞き上手。ここまでの文章の十倍は軽く超える様々な諸事情により、それなりに拗らせ偏屈に育っている。お陰様で。
"案山子"とは。
いわばそんな私に対して軽い冗談でつけられた蔑称の一つだ。もしあなたが私の中の人を知っているなら、その図体故のものでもあるということをすぐに察するかもしれない。
同様に、"木偶"だの"牛蒡"だの"電柱"だのと、バリエーションも様々だった。字面だけで選べば"オベリスク"が一番まともではあったが、
それだと初見・未見の人がちょっと格好良く感じてしまう&拗らせ成分が圧倒的に足らないことから、総合的に判断してこちらを採用した。
魔法が解けても隣国の王子になったりなんてしない。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?