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"慈しみ"って何だ?という話

それは単なる優しさに非ず、
それは外見上の姿勢に非ず、
それは一過性の行為に非ず。

それはつい先日、ハノイ在住の友人からちょっとした頼み事が飛んで来たことから始まる。
とりあえず大した手間でもなく面白そうだったので快諾し、ついでに一つ質問をぶつけてみたのだ。

その方は比較的最近に結婚したばかりだったので、ここぞとばかりに「結婚に辿り着くために大切なものって、ずばり何だろうか?」と。
そんな突拍子も無い問いに対し、彼女はたった一言はっきりと答えてくれたのだ。

"勢い""慈しみ"につきますな」
  ―2020年11月某日、ハノイ在住女性、LINE上にて

ふむ、"勢い"か。これは分かる気がする。何せこの夫婦、最初に出会ってから3ヶ月で入籍したという話である。日本のニュース番組の芸能コーナーなんかでたまに見るような著名人のスピード婚、あれが自分のすぐ身近で起こったようなものだと思えばいい。
お互いに(この人となら間違いなく一緒にやっていける!)みたいなベストマッチ感が早い段階から醸成されていって、その上で結婚へと踏み切ったんだろう。きっとね。

……、
じゃあ、
じゃあさ、
"慈しみ"ってなんだ?

そう、問題は後者の方にある。
彼女は"優しさ"ではなく"慈しみ"という言葉を選んだのだ。単純なそれとは違うだろうし、少なくとも何かしらの意図がそこにはある気がする。とりあえず”慈しみ”という言葉をそのまま検索してみるが、親子や夫婦間の深い愛情がどうだの、見返りを求めぬ無償の愛がどうだのと、色々と出てくる。イツクシミ、ヨクワカラナイゾ。

ここでちょっと見方を変えてみる。
以前、何人かの女性に言われたことを唐突に思い出したからだ。

「(前略)皆に平等に優しすぎるんだよ、きっと。
 自分の意中の人に対して、実は全力で当たってないんじゃない?」
  ―2019年12月頃、ハノイ在住女性の皆様、同年会にて

思い返してみれば、確かにその通りだったかもしれない。
大事な人への深い愛情よりも、その時自分の周囲にいる人達につい気を取られてしまいがちで。
もしかしたら、私はいつも心のどこかにリミッターを設けていて、誰かを好きになっても本気にならず、全力も出さず、いつだって深愛よりも親愛を優先していたんじゃないか……?

「慈しみって何だ?」
そんな自身の問いに対して、今の私には答えがない。出てくる気配がない。そもそも出せる訳がないのか。
ハノイに来てからの現在までの間、何度か素敵な方に恋焦がれてみたり当たって砕けたりしたけれど、もしかしたらそれらも全部、"慈しみ"にまでは至っていなかったのではないか?
そう考えると、そんな中途半端な想いで当たってしまった事がとても失礼というか、何だか申し訳無い気持ちさえも生まれてくる。

大切なのは、"勢い""慈しみ"
教えてくれて本当にありがとう。

私は私の名前と誇りにかけて、これからは精一杯誰かを慈しみたい。

#雑記 #独り言 #勢い #慈しみ

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