言葉を交わすのに理由なんて要らないという話
書きたいことと、話したいこと。
残したいことと、伝えたいこと。
それは、どちらがどうだからとかではなくて、もっと。
個人的には”精神的夏バテ”と呼んでいたのだが、ここしばらくnoteの更新頻度が下がっていた。
編集自体は多少なりともしていたが、どれもこれも完成に漕ぎ着けることなく下書きのままで止まっていて。しかもそれがいつの間にか徐々に増えていって。
そういう意味では、先般のニュースリリース配信こそ「そろそろ文章を書き終えられるようにしないと」という想いに駆られ、何とか投稿へと至った。
もっとも、ある程度決まった話を可及的速やかにまとめて公開しないと次にやることが迫っていたし、全体の構成及び文体をアレンジしてしまえば何とかなったのが幸いだ。
気がつけば、今年ももう残り2ヶ月。
この位の時期になると、私はいつも「今年まだやり残したことないかな、大丈夫かな?」とか考え始める。
同じ都市に住む(or住んでいた)人が書いている文章を読むのが好きだ。
例えるなら、大学で同じ研究室の仲間が取り組んでいる卒業研究の進捗を間近で見ているような。
「最近調子どうよ?」とか。
「今どんなことやってるの?」とか。
「それ自分も考えたことあったなぁ」とか。
他にも、かけたい言葉はたくさん……けっこうたくさんある。
だからこそ、そんな気持ちをただの一瞬の感情にしないように、ある程度の実体と持続性を持ったものにしたいとも思う。
note上で知り合ったり、繋がった人に会いたい。
会って直接話がしてみたい。
単純に文章のことでもいいのだけれど、どうせなら(?)普段どんなこと考えて生活しているんだろうかとか、そういう所まで掘り下げてみたい。
文章の世界でしか会ったことのない人にこそ、
五感の世界でも会ってみたいと、
その人の感性や素顔に直接触れたいと、心から、強く思う。
ところで、
"note"をやっている人のことを巷では"noter"なんて呼ぶらしい。
だったらハノイでnoteやっている人は、一体どう呼ぶんだ?
やっぱり"Hanoter"とでも呼べばいいのか、いや微妙か。どうなんだ。
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