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【教育の思い込みから自由になって変化した学び7つの事例】

学校を軸に教育を考えてた頃、学校選びこそが最重要課題だと思っていました。そして、学校を中心とし、その周りに追加で様々な教育が紐づくようなイメージを持っていました。しかし、学校に通わずに学ぶアンスクーリングをすると、軸が変わりました。軸は学校ではなく、学ぶ本人にあるものだと気がついたのです。それからというもの、教育を考えるのが楽しくなってきました。

軸が学校にある間は、学校が主で教育をするものとなります。保護者会等での親の参画もありますが、こどもが学校にいる時間と保護者会の時間は非にならないくらい違います。時々学校に行くことによって変化を望むのは、非常に難しいでしょう。それに加えて、学校は集団のためにありますから、個々を大切にといっても限界があります。そうは言っても、限界があるということはその個人を納得させるもの、その個人を満足させるものではなかなかありません。学び方は全ての人で違います。それを満足させる学校というのは、そもそもが不可能な話です。

これがどういうことか、少し教育から離れた例で考えてみましょう。例えば、美容室で髪を切る時です。人によっては、こういうものが欲しいという思いがあっても、美容師が出してくるものが違うことがあります。また、美容師が勧めてきたものをやってみたら、自分の想像してたものと違ったということもあります。本当に自分に合う美容師を探すのには、お互いの人としての相性の他に、お互いがみているものが一致することが必要です。しかも、それはカタログに乗っているものを見ているだけではなく、目に見えないけれど本人にとって大切な部分、その感覚が一緒であることです。さらに、美容師側にそれを実現する技術があることが前提となります。個別に満足する教育というのは、こういうことであると私は思います。これは万が一の確率でしょう。

「そんなにぴったりとくる美容師はいない。では、教育に対して、私たちは何もできないのか」というとそうではありません。教育の軸を学ぶ本人に持ってくることで、より理想的な学びができるようになると、アンスクーラーたちは感じています。アンスクーリングは、自分の教育を主体的にデザインする、究極の個別学習と言えます。

では、アンスクーリングをはじめて、学びにどのような変化があったのかを我が家の経験談も時折入れながらお話しします。アンスクーラーが感じる変化には2つの共通点があります。一つは、こどもが自由に主体的に学ぶようになった様子をみます。もう一つは、自分自身の学びに対する考え方の変化です。それらも事例の中でご紹介します。

なお、こちらはシリーズの第5回目です。最初からご覧になりたい方は、以下のリンクからご覧くださいませ。
第1回 なぜ学校でなくてはいけないのだろう
第2回 ホームスクーリングからアンスクーリングへ
第3回 アンスクーリングが注目され始めた理由
第4回 アンスクーリングで気がついた教育5つの思い込み

事例1:苦手科目の変化

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