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【なぜ大学に行くの?】

大学は、学ぶ人の主体性の有無によって、金にも屑にもなりえます。そういうことを含めて大学の話を子供にする機会はどれほどあるのでしょう。小学校低学年から「大学に行かなければならない」と思っている子供達がいますが、今の時代これは特別な話ではないでしょう。

ただ、気になることがあります。子供達は、大学に行く目的があって大学に行かなければならないと言っているのではなく、無条件に大学は行かなければならないと思っているのです。就職のために大学行くというのは、いまや多数派の考えになってしまっているのかもしれません。

目的なんて後からついてくるという考え方もありますが、大学進学のこれからは目的のような何かが「確約」されるものではないです。それはもちろん前からそうだったかと思いますが、何十年前、親世代あるいはそれ以上の世代がみていた大学の状況と今の大学が置かれている状況はだいぶ異なっていると思います。

大学についての一考察はこちら。


就職するのに大学に行くというけれども、どういう職業をイメージしている?と聞くとどれくらいの子供が答えられるでしょう。そもそも、20年後はその職が置かれている状況も大きく変わっているかもしれません。

これまで「大学に行かなければならない」と言っていた子供のエピソードを聞くと、重要なポイントの対話が抜けていて、とにかく大学教育を受けるという義務感を感じます。

大学は「行かなければならないもの」と思っていた子の話。

就職のために大学に行かなければならないと思っていた子の話。

主体性を持って学んでいる人と、やらされているものをこなすことで知識が勝手に増えると思って受動的に学んでいる人とでは、パフォーマンスには大きな違いが出ています。

なぜ大学に行くかを考えないままに行けば、それは「大学で学んだことはほとんど役に立たない」ということで終わるでしょう。大学で学ぶことを活かすためには、本人の「意志」が必要です。

私自身は大学で教鞭をとっていますが、「主体的な」学びをする学生は意外と少ないものです。

主体性
自分の意志・判断によって、みずから責任をもって行動する態度や性質。(引用:三省堂 大辞林 第三版 Weblio辞書)

先生から課題を出されれば学生はやります。大学ともなると、課題をするかしないかは学生の「自主性」に委ねられています。単位だけ取りたいのなら、そのラインで課題をこなせば良いです。広義の意味で、そこには「自主性」があります。

自主性
自分の判断で行動する態度。
(引用:三省堂 大辞林 第三版  Weblio辞書)

実は、成績優秀な「優等生」に、主体性があるとは限りません。言われたことを自主的にやる習慣があるから成績がよくなりますが、言われないとやらないということもあります。

学び方を小学校のうちから考えるのは良いと思います。大学について子供が話し出したら、なぜ大学進学を選ぶのか、何を学びたいのか、話し合うチャンスです。

大学について子供ともっと深く話せることが今からでもありそうです。



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