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丁寧に吸収すること


お久しぶりです。深夜に失礼します。

前回綴ったようなスランプが、まだ続いていて、

何かを創りたい、クリエイティブなものに触れたい、言葉を取り入れたい、言葉を綴りたい、こういう世界観が好きだ、こういう世界を残したい

少し前までの私の中に確かにあったあの気持ちが
どんどん熱量を失う気がして怖い。

そして、その熱量があったが故にできていたあれこれがどんどん出来なくなってきて怖い。

一時的なものだと、そう願うけれども。

本を読むこと、映画を観ること、美術館に行くこと、音楽を聴くこと、自分が惹かれるそれらを自ら探し求めること

そういう、時間をかけて自分の中にじんわり取り入れていく作業が最近なかなか出来なくなった。気がする。

日常の一部だったのに。

TikTokとか、YouTubeとか、スマホで読めちゃう漫画とか、短くて手軽なものをささっと吸収して1日を終えてしまう日も増えた。

それもまた一興なのかもしれないけれど、
私にとってはなんだかとても悔しく切ない事実だ。

ん〜なんでだ、と思い悩む。

そんなある日、普段であれば
あまり触れることのないであろうジャンルの作品を
なんとなく再生した。

「今夜、世界からこの恋が消えても」という映画。

出演者、あらすじは割愛させて頂く。

明日の朝目が覚めた時、私は今日残したこの気持ちを覚えているのだろうけど、そしてその気持ちに対してどうしようもないなとまた嘆くのだろうけれど、それさえ幸せなのだと気付かされた。

記憶が毎日残ること。

今日あったことを、明日も覚えていられること。

今日の記憶が明日消えてしまうかも、なんていう恐怖を感じることのない生活。

毎日毎日私は私のままで朝を迎えられていること、
本当に当たり前じゃないなと感じた。

涙が出た。

1分、2分のショート動画じゃなくて、
10分、20分のコンパクトな動画じゃなくて、

2時間弱という時間をかけて私の中に吸収した作品。

感じる気持ちの質量がずっしり、ちゃんと重たかった。

そうそう、これなの。

やっぱりこういう時間が欲しい。毎日、欲しい。


明日は本を読みたい。


リハビリみたいだね。脳が疲れているのかもしれないから、焦らずいこうね。ゆっくりでいいよ、私。


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