世界全体=わたし
世界全体がわたし、世界=わたしと言われています
この世に生を受けた赤ちゃんの時というのは
【すべてはひとつ】だったのです、すべては自分だったのです
そう、世界と自分が一体だったのですね(^^)
しかし、自分以外のものと関わっていくことで
「自分」と「自分以外」を認識できるようになって「分離の感覚」を知るようになっていきます。
赤ちゃんの頃は、泣いたり、ぐずったり、とにかく何しても許される存在だったし、どんな感情でもあるがままに出してもよかった。許されていたのだ。
しかし、成長するにつれて、自分の一部を自ら切り離して、自分の中の分離が始まってしまったのだ。
怒ったり、悲しんだり、あるがままを感じることでは、自分を受け入れてもらえないのだと…そんな自分じゃいけないのだと…
次第に、自分のあるがままの感情であっても、自分のものではないと切り離してしまう習性が身についてしまったのだ。
本来の自分というのは、どんな感情であろうが、そのひとつひとつ、すべてが自分のもの。
でも成長していくうちに、自分の一部、そしてまた一部を切り離していったことで、自分と自分以外というバラバラの世界を見るようになってしまったのだ。
本当は、バラバラじゃなくて、ひとつだったのに…
いまわたしたちがいる世界というのは、自分の内側の投影です
自分の中をバラバラになった分離状態から「ひとつ」に戻すことこそが、「統合」なのだと思います。
自分の中がひとつになれば【すべてはひとつ】の世界が現れることでしょう。
例えるなら、パズルのピースをひとつひとつ認めてあげて、自分の中に戻して、はめていく。
自分から切り離したパズルのピースは、いずれ投影された世界に映し出されることでしょう。
怒っている人が気になってしょうがない時、きっと自分の中にまだ抑え込まれている「怒り」があるのかもしれません
甘えている人が気になっている時は、本当は自分も甘えたい気持ちがあるのかもしれませんね。
自分の内側が投影しているこの世界で、気になることがあるというのは、自分の内側にあるからです
それに気づいて欲しくて、認めてほしくて、叫んでいるのでしょう。
否定的な反応が起こる時というのは、自分が受け入れなかったパズルのピースがあるということです
それに気づいて、認めてパズルに戻すことで、統合します
自分で認めたくないこともきっとあることでしょう。でも、自分の世界は、自分の内側が反映しているのですから、いつまでもそれに抵抗していることは賢い選択ではないと思います
否定的なことは、悪いとずっと思い込んできた方がほとんだと思いますが、それらは、早く気づいてーー、ここにいるよーと元の場所に戻りたくて叫んでいるのです
これが、まさにこの世界で自分が気になってしょうがないという現象なのです。
何も気にならない人というのはいないと思いますが、この世界で、まったく気になるものがないというのが、まさしくニュートラルな状態。
自分の世界が平和そのものなのだと思います
自分のすべてを肯定することは、簡単ではありませんが、やっているうちに否定するものがぐんと減って、肯定することが増えてくることに気づけるでしょう。
自分のすべてを、そして他人のこともすべて肯定すれば、自分の世界は何が起ころうとも静かで平和になります
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