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性自認とトランスヘイトと向き合う話

トランスヘイトとたたかえなくて申し訳ない、という思いばっかりが募る。トランスヘイトが溢れている。
できることをアレコレ考えた末、私はやっぱり多少は血(概念)を流しながら、自分のことを自分の言葉で表現することに挑戦してみる。

「性自認」…講演の時は「『あなたの性別は?』って聞かれたときに、思いつく答え」と説明しています。これでいくと、私は「男とも女とも思ってない」となる。

今回はそれだとあまりにも大ざっぱすぎるのでもうちょっと踏み込んでイロイロ書くのだけれど、私の場合は「自認している性」と字では書いても、「自分が認めているかどうか」はちょっとわからないという、ややこしいパターンです。そうならざるを得ない理由があった。

「性自認」の話の前に

私たちの身の回り(社会と捉えてもらっていいです)には「ジェンダー観・ジェンダー規範」というものがある。「男ならこう」「女はこういうもの」「男はこんなイメージ」「女らしさとはこういうもの」(※この場合の「男/女」は身体性のこと)みたいな価値観や考え方のことだ。私たちは生まれた瞬間から、「男/女」として、そういうジェンダー観を多かれ少なかれ浴びながら、染みつきながら、身につけながら大きくなる。

赤ちゃんの頃は「自分らしさが何たるか」とか、「ジェンダー観をどうすればよいのか」なんて考えないだろうし、そういうことを考えるようになる頃には既にジェンダー観は身に付いてしまっている…と思う。

(「身に付いた」のか「身に付けさせられた」のか…等々、細かいニュアンスで全く言いたいことが変わってしまうのだけれど、今回は「すでに覚えてしまっている状態」という意味合いで「身に付いてしまっている」という言葉をつかいます)

で、話を「性自認」のことに近付けていきます。

私の性自認は「男とも女とも思ってない」、これを噛み砕いて説明しようとすると、どうにも上記の「ジェンダー観/規範」のこととぶつかります。私は「男とも女とも思っていない」というよりは、「身体性が男/女であることで何かを求められたり、制限されたりするのはまっぴらごめんだ!!」と、こういう気持ちであるような気がします。

・・・それは、“性自認”なの?と聞かれると、自分でも困ってしまうけど、「男なの?女なの?性別はどっち?」と他者に聞かれたときに、今後他者から男/女とみなされる回答をしたくないし、「さぁ、どっちでしょう?私は何者でしょう?」と、そもそも「性」の土俵に上がりたくない、と思うのは、立派な「自認」…私の今の状態、なのではないかなと思っています。
私の「性自認」はそんな状態。

次に、私の性自認と「表現する性」の関係を考えます。

私の「表現する性」は、「その時どき。」フェミニン(女性らしい)時もあればマスキュリン(マニッシュ・男性的)な時もあり。

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