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成人式とLGBT成人式の話

成人式、行きたくないなら行かんくてもええよ。

たいして同級生と仲良かったわけでもないし、他人の自撮りに写り込むことも、市報の「町別新成人」写真に載せられ、あれやこれやと話のネタにされるのも嫌だったので、成人式は行かないことにしようと思っていた。

そんなところへ「振袖買ってあげるからね♡」と母。いやマジか。振袖ってべらぼうに高いだろ。そんなんいいからそのまま現きn…と言うとマジでくれそうだからやめた。
上の姉2人はそれぞれ振袖を買ってもらっているので、私は成人式に長女の、卒業式に次女の振袖を着たいと提案し、母は納得してくれた。
お化粧やヘアメイクは自分でしたかったけど、そこも着付けと一緒に予約を取ってもらうことになり、せめてもの抵抗でネイルだけは頑張った。

成人式はやっぱり居心地が悪かった。ハタチになってもスクールカーストがそのまま、というか少し大人になったって、地元に戻ると「あの頃」に戻るんだな。
地元を離れてやっと少し獲得した「自分らしさ」も、地元という土地と芋時代のコミュニティの中では、やっぱり芋に戻ってしまう。
カースト上位の集団の自撮りに巻き込まれないように、さっさと会場を後にした。

地元の成人式で嬉しかったことは、小さいころから「男勝り」をキャラにしていた戸籍女性が袴姿で出席していたこと。昔から隠してなかったにしろ、地元の成人式にあの姿ということは、親御さんも知っているんだな、すごいなと思った。声を掛けたいほど嬉しかったけど、芋に戻った私にはそんな勇気は無かった。

当時の私はXジェンダーあたりを自称していたはず。覚えてないけど。振袖自体は別に嫌ではなかったけど、正直振袖ってみんな同じに見えたし、「いかにいい振袖を着せるか」を親同士水面下で競っているのが気持ち悪かった。それなら成人式なんか行かないで、晴れ着姿を祖父母に見てもらって、家族写真でも撮りたかったな。


話は変わって地元の成人式と同じ年、3月。中四国初となる「鳥取LGBT成人式」を開催した。
「虹色らくだ」メンバーで企画・運営。ちょうどハタチで虹らく代表だった私が「新成人の言葉」をやることになった。

「成りたい人」になる一歩を踏み出す式典。一般成人式(と呼称する)の謎に「おめでとう」を浴びせられる体験、晴れの日、門出の日の体験を、したことない人もしたことある人も一緒に。自分のしたい服装で、なりたい自分で。

ということで、一般成人式用に伸ばした髪をバッサリ切り落とした。化粧なし、ネイルあり、パンツスーツにネクタイという、垢抜けたようでそうでもないファッションが、当時の私の「晴れ着」であった。
ネイルに至っては「ちふれ」で買い漁った6色のマニキュアを「塗りかけネイル」にするというこだわりを見せた。自分はまだまだ道の途中!そして「きちんと」する必要なんて無いんだぜーッ!というメッセージ性を込めたものだったのだが、ただの不器用ネイルだよと教えてあげたい。

肝心な新成人の言葉は、アンポンタンなことに即興だった。式の総括もしているうちにすっかり忘れていて、あやこやと考えながらとりとめも無い話をしてしまったと思う。聞いていた人、後に記事にしてくださった記者さんたちもだし、リアルタイム翻訳をしてくださる手話通訳の方には特に申し訳ないことをした。ばか。

話したおおよそのことは、「LGBTもそうじゃない人も、応援してくれる人も否定的な人も、グラデーションをたどっていけば同じ線の上に立ってる。みんな家族だね、一緒に生きていこうね」みたいなことだったと思う。なんかそんな感じだったはず。人数は集まらなかったけど、エエ式になりました。またやりたいな。

それ以降、関西LGBT成人式にも行ったし、2回目の鳥取LGBT成人式もできた。何歳だってどこだって、成りたい人になり始めることはできるさ!なので、地元の成人式に行きたくない人は行かんでもええよ。私みたいに、親のため、家族のために行くことだって、もちろん立派だ。行かない人だって、ハタチにしてその決断力、羨ましい。立派。行きたくても行けない人、お仕事の人、中止になった人、晴れ着が無い人、いろいろあるだろうけど、結局みんな20年間生きてきただけでもう無条件に立派やと思う。

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