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誰かを「気になる」ってもろくて、苦しくて、でもそれでいて尊い。

「やっぱりこの人の○○なところ素敵だな~」
「とか思ってたけど、意外とそうでもないか笑」

と、誰かを気になり始めた時に
交互に相反する感情が次々に沸き起こってくる現象に共感してくれる人はいるだろうか。

私が今気になっている人は仕事で同じチームの人なので、毎日話す度に感情がアップダウンするのに疲れてきた。


テレワークだから相手の顔は見えず、ひたすら電話口で話している感じ。

もちろんプライベートの事を話せるタイミングはほぼ皆無。

でもそれでもたまーにある二人で話せる機会には、お互い会話を楽しもうとしている感があるし、よく相手が冗談を言ってくるので笑ってしまう。

でも、相手が冗談を言ってきたテンションでこちらから話すと、意外と今度は向こうが真面目モードで話してきて「あれ何か私一人で何やってるんだろう、やっぱ勘違いか。」となることもある。

この情緒の不安定さは、本来仕事とは対極にあるべきものなので、こんなに弱い自分がかなりの高頻度で出現するのが嫌になって疲れる。



「顔すら知らない人を気になるってどういうことやねん」って思われるだろうし、自分にもそうツッコミをいれたくなるくらい、もういっそこんな感情かなぐり捨てて忘れたくなる。

『たぶんこの感情は何かの勘違いだろう。』
『ただ周りにその人しか良さげな人がいないから、無理やりその人のことを気になるって思い込んでるんだろう』って何度も何度も言い聞かせているけど、やっぱりその人のことを考えてしまう。

「試着室で顔が浮かんだら、それはもう恋だ」みたいな有名なフレーズがあるけど、
もはや試着室どころか、仕事後にお酒を飲んでいる時でも、自分の部屋でボーッとしている時でも、ずっと頭の片隅にいる。

私は知っている。こうなったらこの感情はもう自分自身でどうこうできるものではないと。



ここまであえて「好き」という感情かもしれない気持ちを「気になる」と書いてきた。

「好き」って書くと、何となく超えてはいけない一線を越える気がして、後戻りできなくなる気がして。

でも同時に、こんなに尊い感情を抱けること自体が素敵なことなのではないか、と最近少しずつ思えるようになってきた。

「好き」とか「気になる」っていう感情って、ちゃんとその相手のことを観察(視覚だけではなく)していないと芽生えないと思うから。

その人が書く文章や、話し方、間の取り方、人との接し方。そういう細かい一つ一つの言動を注意して気にしてみて初めて、良いところだったり、真似したいところが見つかる。

だから、私は今気になっている人の【いいところに一番たくさん気付けたで賞】があったら、確実に受賞できる自信がある。それもダントツで。

人生であと何回そんな人に出会えるかも分からないんだから、もはやもうこの出会いだけでも尊い。

そしてその人の人となりに気づけた自分も尊い。


マイナスな感情ばっかりに囚われていないで
こう思うことにしようか。

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