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コンサル1年目が学ぶこと/大石哲之【読書メモ】

基本情報

2024/3/5 読了。

感想

仕事関係の人に読むことを進められて読了。
私自身コンサル1年目というわけではないけれど、改めて自分の仕事の仕方を振り返るきっかけになったというか、良い面も気になる面も含めてちょと見直すことができたと思う。
以下、特にまとまりも主張もないけど気になったポイントを列挙。

個人的に腑に落ちたところ

PREPの型に従う。
Point = 結論
Resource = 理由付け
Example = 具体例
Point = 結論の繰り返しで締める

p15 第1章 コンサル流 話す技術

「PREP」の型ってあまり意識したことなかったけど、まあ普通そうだよね。って思ったから内容自体は意識できてると思う。

「無言は理解」ではなく、「無言は無理解」のサイン。

p55 第1章 コンサル流話す技術

同意。
特にフロントで話す立場になるとめちゃ分かる。
頼むから何か反応してくれ~という気持ちになる。

ときには、相手の期待値を下げる、期待値のマネジメントも必要。

p70 第1章 コンサル流話す技術

報連相の本当の目的は、上司と部下が仕事の目的と内容について、「共通の理解を得る」ことです。

p73 第1章 コンサル流話す技術

報連相の中で期待値のマネジメントを行うの大事。
私はこういう想定でここまで進めますよ、いいですね~というところを握っておかないと後が大変。
無報告は無進捗のサインといっても過言ではない(多分過言)。

指示を受ける側も、出す側も次の4つのポイントを明確にする。
①その仕事の背景や目的
②具体的な仕事の成果イメージ
③クオリティ
④優先順位・緊急度

p82 第1章 コンサル流話す技術

自分が指示を受ける側の時はこれ意識できてたなと自負できるんだけども、いざ出す側になってみると結構難しかったりする。

事実、解釈、アクションを区別する
(事実) 「空を見てみると、雲が出ている」
(解釈) 「曇っているから、雨が降りそうだ」
(アクション) 「雨が降りそうだから、傘をもっていく」

p111 第2章 コンサル流思考術

実際にお仕事をしていても、事実すっ飛ばして解釈から話す人とか、全部すっ飛ばしてアクションだけ起こしてすべてを混乱させる人とかいる。
傘を持っていくだけならいいんだけどね~。みんなにいきなり傘売りつけてきたりすると困るね。

個人的に好きだったフレーズ

世界共通言語があるとしたら、それは英語ではなく数字です。

p31 第1章 コンサル流話す技術

意見は封殺されることがありますが、事実は封殺しようがありません。

p35 第1章 コンサル流話す技術

両者とも、揺るがない「ファクト」を見せることが大切という話。
根拠(エビデンス)を見せろという話はよくあるけれど、根拠の質っていうのも大切だよなと感じる。
先の「事実」、「解釈」、「アクション」を区別するという点にも通じるけれど、「解釈」と「アクション」は十人十色だとしてもその根拠となる「事実」は変わらない。
特に(顧客にしても上長にしても)ビジネス上の相手から信頼を得られるまでは自分の意見というのはあまり価値を持たないし、いかに信頼できる事実を積み重ねられるかが重要ですね。

プロフェッショナルの仕事のうち、言語化できる部分は、
すでにコモディティになっていて、差別化できない。

p261 第4章 プロフェッショナル・ビジネスマインド

個人的にあまり同意できないところ

でも、目的によって、本の読み方は変わってきます。秋山さんは、このことを次のようにたとえて言いました。
「司馬遼太郎の小説ひとつとっても、どういう目的でそれを読むのかによって、読むべきポイントは変わってくる。幕末の歴史の背景が知りたいのか、それとも坂本龍馬という人物のリーダーシップについて知りたいのか?どちらかによって読むべき視点も変わる」
まさにそういうことです。

p193 第3章 コンサル流デスクワーク術

そもそも「幕末の歴史の背景」や「坂本龍馬という人物像」を知りたいのであれば、当たるべき文献は司馬遼太郎の小説ではないのでは?
小説はあくまで小説、フィクションであり、そこから得られるのは小説を読んだという体験しかないと思う。
例えば、修辞法を学びたいとか語彙のヒントを得たいとか、そういう「小説を読む体験」を通して得られるもののうち何に重点を置くかという点では読むべき視点が変わるのも納得できるけど、記載の例はあまりいい例ではない気がします。

会議とはセレモニーではなく、実際に物事を前に進めるために行われるチームワーク上の作業です。

p225 第4章 プロフェッショナル・ビジネスマインド

在るべき姿としてはそうなんですけど、実際のお仕事としては「セレモニーとしての会議」というのもあるし必要だと思うんですよね。
すべての会議に対して「チームワーク上の作業」を求めることはできないと思う。その「セレモニー」をいかに円滑に進めるかを事前にネゴる力が必要だよね。
(そこに至るまでに「チームワーク上の作業」としての会議をするべきなのはそれはそう。)


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