信じる。
以前「誰を信じたらいいのかわかりません!」と言われたことがある。
当時の私は「信じたい人を信じればいいんじゃない?」と、素っ気なく答えた気がする。
なんとなく、間接的に『あなたとことを信じていません』と言われた気がしたからだ。
多分そうだったのだと思う。
と出てくる。
人は誰かを信じたいのかもしれない。
されど①②③に共通していることは、「自分」が主体としての意味である。
だから、人のせいでは無いのだ。
自分のせいなのだ。
冒頭に戻ると、「誰を信じたらいいのかわかりません」は、自分がないのだ。
今ならこう言い返すかもしれない。
「誰も信じません」でいいのに、人のせいにしないでよ!と。
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