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人の話を聴くということ。

墓参りを終えて、水ようかんを買いにいつもの菓子屋に寄ろうとするも、店がない!
大きな木彫りの看板が目印なのに、看板が見当たらない。
なんと、店をたたんでいた。残念無念。

その菓子屋は、今は亡き母方の祖母のご近所さん。
祖母の家はずいぶん前に、売ってしまい、今は時々その前を通り懐かしんでいる。

夏にばあちゃんちで過ごす日々が大好きだった。

祖母の家は長屋で、それがおもしろくて楽しくて大好きだった。
並びの豆腐屋さんにボールを持って買いに行ったり、牛乳屋さんや酒屋さんがあったり、駄菓子屋さんも2件もあるという、私にとってその町は不思議な空間だった。

地域性と今でこそテーマとなってるが、勝手に地域性が成り立っていた。
ばあちゃんは町の人気者だった。
いろんな町の人が声を掛けてくれた。
犬や猫が野放しになってて、どの家にも当たり前のように居座って餌をもらっていた。

そんな町で、私は夏を過ごした。
だから今でも、夏を感じ始めるとウキウキワクワクするのだと思う。
そして夏が終わるのが寂しかったんだと、今書いていて気がついた。


施設で働き始めると、私の担当とは別のフロアに、上記の菓子屋の利用者がいることがわかった。
入浴介助中に、他の職員から教えてもらい、気づいた。


「私、○○の孫だよ。わかるかね?」
と尋ねると、
細く可愛らしい声で、
「おまん○○さんちのかね。そっかね〜」
と微笑んで応えてくださった。

入浴介助をしながら、その町の話をするとニコニコ微笑んでくださる。
とっても嬉しかった。
当時の私のキラキラした夏の思い出の恩返しができているようで、とても嬉しかった。

でも、その利用者は認知症というレッテルを貼られ、オムツ構いが酷いというレッテルを貼られていた。
そのフロアにとっては、迷惑者だからだ。

入浴介助中、いつも願った。
今日その利用者の入浴担当になれますように!
少しの時間だけでも、心を癒したい!と。

きっと他の職員にとっては、めんどくさい嫌味な職員だったと思う。
それでも、声をかけずにはいられなかった。


最近、いくら頭が良い人でも、人の話を聴けない、話しを理解できない人がいることを知った
自分に謙虚になれずに、自分や自分の周りの素晴らしさを誇張するのだ

今まで出会ってきた人でも、自分らしさや、そうやって学んできたからと人のせいで終わり
ここのやり方だから
もっと私はすごいんだ
私は関係ないんです
あの時もっと手伝えばよかった
でも、あなたも悪いよ

世の中いろんな人がいる。
理解はしようと思う。

でも、私はそうじゃない。
私は私にブレずに生きていたい。
そんな思考回路を持てている自分に感謝する。
だから、自分を大切にする。




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