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ちくま新書の『世界哲学史(別巻)』

ちくま新書から刊行された世界哲学史シリーズ(全8巻)

いきなり別巻から読み始めました。前半の130ページほどがこの企画を振り返る座談会になっています。全体像をつかむのに最適だし、僕は対談を読むのがなぜか好きなのでここから入りました。

自分は作家性の薄い論文集みたいな本が好きではなく、そのため本シリーズもスルーしていたのですが、本書を読んでみたらものすごく重要な内容になってることに気づく。

・アリストテレスが設定した哲学の起源、それは「存在」を探求するというもの。しかしこれはある地域に局所的な営みでしかない可能性。むしろ「世界と魂」の関係を考えることのほうが普遍的に見られるものであり、世界哲学のベースとして優れているかもしれない。

・イブン・シーナーでさえ、アリストテレスの『形而上学』を読んでもよくわからなかった。その結果彼はどうしたかというと、同書を40回ほど読み込み丸暗記して、頭の中で注釈をくりかえしていった。

井筒俊彦が司馬遼太郎との対談でも言っていることですが、イスラムの天才にはこういうスタイルの学者が多いらしい。

・霊と個別の魂との関係。ヘブライズムは霊を中心とし、ヘレニズムは魂を中心とする。

ちなみにヘーゲルのいう精神(ガイスト)も霊と訳すことができます。実際、高橋巌は『シュタイナー哲学入門』でガイストを霊と訳してヘーゲルを論じていました。

・日本はまだ東ヨーロッパの研究が足りていない。とくにビザンツの存在は哲学史において重要である。

・東方のキリスト教は、原罪を重んじるアウグスティヌスのモデルとは異なる。むしろ山上でのイエスの変容(光へと変わっていくこと)を重視し、それを人間のなかに宿る神の証として見る。これがロシア思想史にもつながり、そのなかにドストエフスキーもいる。

・ヒュームは道徳の基礎に感情を置いた。ヒュームいわく理性は感情の一つにすぎない。「理性は情念の奴隷であり、またそうあり続けるべきである」

ヒュームというと知性重視の極北のイメージが強く、彼の友人でもあったルソーにおいてそれが感情重視の時代に転換したと思っていたんですが、実際にはヒュームその人も感情をこんなに重視していたんですね。

・ヒュームと同時代に、中国でも感情への注目が始まっていた。孟子ルネサンスとして知られる現象。

・18世紀という転換点。啓蒙主義、一神教概念の主流化、非西欧世界への蔑視のはじまり、カントにおける知性と理性の地位逆転現象。

・19世紀アメリカ東海岸の超越主義。哲学を既成宗教から解き放ち宗教性そのものへと結びつけることを目指す。これがジェイムズやパースに影響を与え、プラグマティズムの成立背景にもなっている。

・19世紀になると、18世紀の理性と啓蒙によって追いやられていたものが回帰してくる。ロマン派の運動、フランスのスピリティズムなどなど。

ちなみにスピリチュアリズムにおいては1848年がスピリチュアリズム元年とされます。アメリカにおける一見ささいな霊媒現象をきっかけとして、西洋世界に霊的現象が普及していったのでした。

マルクスは1848年の『共産党宣言』に「ヨーロッパに幽霊がうろついている」という文章を書いていますが、あの比喩を選択したのも、当時の思想潮流となんらかの関係があるのかもしれません。

・初期仏教へと帰りそこを「本物」と見なすアプローチは、18~19世紀の西洋の歴史学の影響を受けている。

・イエズス会の中国布教の使徒マテオ・リッチらは、中国の哲学(儒教)がキリスト教に親和的であると考えていた。中国哲学有神論。彼らは中国哲学の情報をヨーロッパに送り込んだ。

・ライプニッツは『中国自然神学論』で儒教と有神論の相性の良さを指摘し、中国哲学を肯定的に評価した。

・ライプニッツは若い時すでに『中国の哲学者孔子』や『中国学芸論』といった著作から影響を受けていた。これらの著作には、のちのライプニッツ哲学に通じる概念も見られる。

スピノザが東洋から受けた影響についても知りたいところです。あの汎神論は明らかにインド的ないし大乗仏教的な性格をもっている。どこからインスピレーションを得たのか?

・チャールズ・テイラーは世俗と宗教の二分法を批判する。宗教性を排除する世俗主義は精神の貧困であり、あるべき世俗とはむしろさまざまな信条が実現する舞台である。

テイラーの考え方は的を射ていますね。既成宗教がすべて潰れたときに何が現れるかといえば、霊性なき世俗社会ではなく、むしろ権威によって歪められることの少ないスピリチュアリティだと思われます。


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