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今の社会学がわかる本『社会学はどこから来てどこへ行くのか』

『社会学はどこから来てどこへ行くのか』。岸政彦と北田暁大のふたりを中心に、4人の社会学者たちが対談を繰り広げる本です。

おもに社会学のアイデンティティについて話が盛り上がります。

社会学がなんなのか、いまいちよくわからないところがありますが、それは本人たちにしても同じ感想らしい。「うちらって何やってるんだろう?」などの赤裸々な問いかけが、随所に炸裂します。

本書の結論を一言でいえば、「地味な調査を軸にする地味な学問に戻ろう」ということになります。


社会学はどこから来たのか?

社会学はどこから来たのか?

本書は都市社会学に社会学のルーツを探っています。

近代化と産業化が進み、人々が都市に集まり、そこで色々な問題が発生する。それを分析したり解決しようとしたりするのが社会学者だったと。

日本にしてもそれは同じで、日本社会学には戦前以来のハイクオリティな社会調査が蓄積されてきました。


しかし見田宗介という天才が現れたことで様相が変わります。

調査系が主流だった社会学界に反して、彼は独自の理論を打ち立てて、ド派手な理論的作品で幅広い読者層を獲得したんですね。

さらに見田のもとから大澤真幸や宮台真司といったスターが排出され、社会学者がメディアに登場して脚光を浴びる流れも生まれます。

見田によって社会学の様相が変わり、世間が社会学を見る目も変わりました。

しかし2000年代中期ごろでその流れも失速、どん詰まりに陥ったといいます。


社会学はどこへ行くのか?

じゃあこれからの社会学はどうすればいいのか?

社会学は調査重視の地味な学問に戻るべきというのが本書のトーンです。

私たちは以前から、社会学者は大上段から振りかぶって社会全体を「診断」するのでもなく、方法の正しさを政治的信念に譲り渡してしまうのでもなく、実証的な方法と理論で、さまざまな社会の問題に向き合う「普通の学問」になるべきだ、ということを語り合っていた。

岸政彦ほか『社会学はどこから来てどこへ行くのか』「はじめに」より


それで万々歳かというと、そうでもない模様。調査だけなら社会学者じゃなくてもできるわけですから。

実際アメリカやドイツでは社会学は衰退の一途をたどっているそうです。統計調査は民間企業のコンサルが、質的調査は歴史学者が担当する。じゃあ社会学者なんていらないんでは?となるわけですね。

もし社会学がばらばらになったら、計量のひとは経済学で面倒見てもらって、エスノグラフィーはもう人類学で面倒見てもらって、みたいな(笑)。理論のひとは哲学に面倒見てもらって「かいさーん、社会学、解散!」って(笑)なったときに、どこにも引き取られなくて、真ん中に残るものがないんじゃないか、みたいな。

同書より

日本もそうなるかもしれない、と著者らは危惧しているようです。

幸か不幸か日本はコンサルに優秀な人材が少ないらしく、社会学者の仕事はいまのところ安泰とのこと。


こう聞くとえらいみみっちい議論ばかりしている本にも思えるかもしれませんが、どの対談も終盤にさしかかるたびに良くも悪くもヒートアップし、深みを増していきます。

社会学ってそもそもなんなの?社会ってそもそもなんなの?こういう素朴な疑問が社会学者ら本人の口から飛び出し、読んでておもしろい。

岸 学生とか若い院生でも、社会学って何やったらいいかわからん。っていうひとが結構いて(笑)
北田 わからないですよね。
岸 それが社会学のいいところっていうひとが多いんやけど。「何でもあり」のところが。
北田 僕はよくないと思う。

同書より

でもたしかに、本屋で「マックスウェーバーはこう言った」みたいな本を見つけると、すごくマンネリを感じますよね。いっつも過去の偉人の話してるなみたいな。

哲学ならそうやって楽しんでいるだけでオーケーだと思うんですけど、社会学だとなんか違和感を覚えます。

社会学がポジティブな成果を生み出していくには社会調査という軸に帰るべき、という主張には説得力がある気がします(個人的にはまったく興味をもてない分野ですが)


この本は、社会学に興味のある高校生や大学1年生におすすめですね。

話の内容はけっこう高度ですが、「社会学は自分に合ってそう」とか「社会学だけはやめておこう」とかが感じとしてつかめると思います。


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