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リヴァイアサンとベヒーモス『カール・シュミット ナチスと例外状況の政治学』

マックス・ウェーバー以降で最大の政治思想家はカール・シュミットである、というのが最近では定説になりつつあるそうです。

シュミットはナチスに関与したことでタブー視されていました。が、1980年代に再評価が開始されたそう。

この流れが影響しているのか、ついに新書でシュミットの入門書が登場。蔭山宏の『カール・シュミット ナチスと例外状況の政治学』(中公新書)。

期待して読み始めましたが、正直かなり読みにくく、なんか掴みどころのない読書になりました。

これはシュミット自身の性質によるところが大きいかも。

最後に著者が指摘しているんですが、シュミットは体系的な著作家ではないんですね。縦横無尽に動き回り、色々な場所から色々な対象を鋭く批判していくタイプ。だから上から要約的に全体像をつかもうとすると漠然とした感じになるんだと思う。

以前に読んだ仲正昌樹の『カール・シュミット入門講義』でも、同じことを思ったような覚えがあります。

たぶんテーマを決めてその観点から光を当てるみたいな構成にしたほうが、この手の思想家の解説は上手くいきますね。


例外状況の政治学

本書のサブタイトルには「例外状況の政治学」とあります。例外状況というのは、シュミットが用いるキー概念のひとつです。

これはどういう意味でしょうか?

ホッブズの「リヴァイアサン」と「ベヒーモス」を参考にするとわかりやすいです。

ホッブズにとって、自然状態は万人の万人に対する闘争状態なのでした。このカオスを抑えるために召喚されるのが国家(リヴァイアサン)です。人々は国家に権力を明け渡し、その加護のもとで安全を手に入れる。

しかし国家は、カオスへと戻ろうとするエネルギーに恒常的にさらされています。このカオスのことを、ホッブズはベヒーモスと呼びます。

シュミットのいう例外状態は、このベヒーモスに近いと理解していいでしょう。

シュミットの場合は例外状態でも国家は生きていますから(法は死んでる)厳密に考えると違うのですが、ニュアンスとしては似てますよね。

まず通常状態があってそれの破綻として異常なカオスが生まれるのではなく、むしろカオスがまず自然状態としてあって、それを力づくで抑えることにより一見平穏な通常状態が(実は危ういバランスで)成立しているイメージ。これがシュミットの世界観のベースにあります。

自然状態にはすでに神の摂理が組み込まれているのだ的な心情を持ちがちな英米系の法哲学者とは、だいぶ違った世界観です。

シュミットは制度が構築されて「通常」状態が生まれる前のカオスに着目する思想家です。そしてそのカオスの次元を、「例外」とか「政治的なもの」といった概念で名指すのですね。哲学的にはそんなに珍しい思考パターンじゃないです。

個人的にシュミットで面白いと思うのは、ロマン主義批判、そして自由主義と民主主義の区別の2つ。本書の解説でも、これらを扱った箇所が面白かったですね。シュミットの素描するロマン主義者からは、ドストエフスキー作品の登場人物が思い浮かんできます。


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