留学

モロッコ留学に来て一ヶ月経たないが、日本にいれば何も考えずにいられた事象に突き当たることが多い。

なんで日本人女性はみんな女の子らしいの、と聞かれたり、
この国では違法であるLGBTQのコミュニティがあったり、
(全く知らなかったけど友人が実はLGBTQだったという事実にあとから気付いたり、)
歴史に関する話題が時に場をピリピリさせるものだったり、
生まれ育ちが一言で説明できない複雑な事情だったり。

知ってはいた知識でも、改めて対面すると自分の無知を思い知って恥ずかしい。

特に留学生同士で関わる機会が多いからか、
さまざまな国からあえてモロッコという国を留学先に選んだ多様な価値観の人々と、
イスラム教をベースとして生き基本的には教義に忠実なモロッコ人たち
(もちろんその中でも多様性はあるが、あえて主語を大きくしているのを許してほしい)
のコントラストを感じる機会が多いのも一因だと思う。

そしてそれらを通じ、改めて日本という国の文化的背景について考えさせられた。
単一民族国家、歴史上のほとんどを閉鎖された環境で過ごした島国。
もちろん移民や外国人労働者はいるが、未だ外国人の移住などへの対応は厳しく排他的な社会。
近代になって急激に他国との関わりを見せたものの、その急激さが歪みを生み出しているように見える。

そのせいか、日本は他の国々とは圧倒的に価値観が違うと感じる。
ある一点に絞って言うと、民族が単一だからこそ、同じ価値観を持っていることが前提となっている。

友人の19歳の時の言葉を、ここにきてしょっちゅう思い出す。
「私はなるべく目立ちたくない。みんなと常に同じでいたい。」
みんなと同じ、平均とされる生き方。それが合っている人〔疑問を抱かない人〕にとっては一番楽で安心できるライフスタイルで、事実、社会がそういった生き方を推奨している。

私も、幸運なことにおおよそはそれに疑問を抱かずに生きていると思う。
従っていれば楽に生きることができる。外れれば、自分の選択に大きな責任を持つことになる。マイノリティになることやオリジナルを貫くことは、常に大勢から否定される恐怖と闘うことだ。

ただ暮らしていく上ではそれで問題ない。

でも、ここにきて感じる精神的な居心地の良さ、霧が晴れた気持ちは何だろう。
人々は自由で、自分だけのスタイルや生き方を確固として持っている。
時にはバックグラウンドが違いすぎて衝突することもあるが、それすらもありのまま受け入れているように見える。
柔軟性もある人が多く、状況や人に即して変化することもできるからお互いに影響しあえる。

私のこれまでの生活、人生に一つとして不満はない。
自分の選択でやりたいことをやってきたし、進みたい方向を選んできた。
それに日本という国に不満があるわけでもなく、むしろ大好きだ。

けれど、ここに来て一ヶ月、もっと広い世界がある、知らない自分自身がいる、それを知らないで生きていくのは自分の正義に反する気がした。

もっとコミュニケーションを取れるようになって、深い場所まで入り込みたい。頭ですぐに処理しきれないことともっと対峙して比較して、本質だと思えることが掴めたら納得できる価値観や哲学に辿り着けるように思う。

なぜ外国に来て日本のことばかり考えているのだろう。やはり私は日本のことが大好きなのだろう。






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