私の軸

今日話してて気づいたんだけど、人ってそれぞれ軸があって、その軸が強いほど自立できるし自分を信じることができるんだろうなあと。

逆に軸がないと、他人の意見や風土にあっさり流されてしまう。流されるのは良いけど、軸のない流され方をするといつかどん詰まりになって先へ進めなくなったり、ある時突然ぷつっと何かが切れてしまうんではないだろうか。

この話が始まったのは、先輩から「あなたの軸は何?」と聞かれたことがきっかけだ。彼女はコロナ禍で就活しており、就活に嫌気がさしつつも社会構造に取り込まれざるを得ないらしい。

そして、以前は自由な性格だったのに、就活やコロナが重なっていろんなものに興味が持てなくなったそうだ。他人からも「変わったね」と言われて、それが自己嫌悪なんだと話してくれた。だからこそ、他人がどんな軸で正気を保っているのか知りたいのだという。

すごくよくわかる、と思った。2019年までなんとなく過ごしていれば流れ込んできた情報や人間関係も、自分から気合を入れて獲得しにいかないと何も得られなくなり、そのせいで何をしたらいいか分からなくなって塞ぎがちになり抱え込んでしまう状況は誰しも当てはまるのではないか。それが就活と重なれば、尚更辛いだろうと想像する。

話は戻るけれど、私の軸を聞かれて真っ先に思い浮かんだのは両親だった。いや、両親によって培われた生育環境といってもいいかもしれない。それが正しいかどうかはわからないけれど、私の持つ絶対的な正しさの中には常に親の価値観があり、また親が用意した環境(海外に住む、コミュニティに属さないなど)がある。

精神的支柱がない人はなにを頼りに生きているんだろう。ある人は尊敬する人物だろうし、ある人は夢や目標だろうし、またある人は恋人だろうか。しかし、自分の信じていた正しさが揺らいで足元が崩れ、自分のアイデンティティが剥がれて身一つで投げ出される時はどう生きているのか。

軸がなければ、今頃間違いなくあらぬ方向に流されて苦しんでいた。ただ、これから大人になるにつれ、自分の軸は自分で作っていかなければならなく、頼りになるものは自分しかないとひしひし実感し始める。

自分の軸をつくるためにはどうすべきか。自分を信じ切ってどんな状況でも肯定し続けるには、自分が快く感じた方向に努力し続けなければならないのではないかというのが私の結論だ。

そして、自分で人生を選んできた人にしか、真の自信はつかない。

そのためには、時には辛く見える選択や遠回りに見えても、自分がなりたい自分に近づけるような選択をしなければならない。

ここまで周囲の環境によって培われた自分から徐々に離れ、自分を信じて完全に自分の力だけで選択をする時が迫ってきている。そんなとき、私の軸は何になるのだろうか。

最近、ITの意識高い系や逆に大学の意識低い系、様々なコミュニティに所属して他人の雑音に惑わされることが多くなってパニックしていた時、父に電話した。すると、

「どこにも所属できないのは、貴方が特別である証拠。それぞれから自分がいいと思ったところをちょっとずつ盗んで、自分自身を作り上げていくしかない。完全にピッタリな居場所なんてそうそう見つからないんだから、ちょっと居てみて去るを繰り返すくらいで丁度いいんだ。僕も50年生きててずっとそんなことの繰り返しだ。」

と言われて、すごく楽になった。

自分は自分でしかないし、軸っていうのはそういう試行錯誤の繰り返しから生まれるのかなあと思った。

絶対に正しいことは存在し得ないけど、自分が好きな価値観というのは存在する。それに嘘をつかず、かつ、頑固になり過ぎず生きていくことでいつかぶれない自分と言う土壌ができていくのだろうか。

今はただ、自分を保つだけで精いっぱいだ。


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