無意識のカテゴライズ/性差について

以前のジェンダーについて思ったこと、の投稿でありがたいことにいろんな考えの方からコメントいただけて、私自身すごい考えさせられた。

私が言いたかったこととしては、「男とか女とかで考えないでほしーなー」「ただの人間として見てほしいし、そしたらどんな人でも生きやすい社会になるのになー」ということだったんだけれど、やはりジェンダーについての話になると「男は」「女は」という議論になってしまいがちだと感じた。

また、コメントにあった日本の雇用構造がそもそもの問題だっていう指摘は、たしかに思いつかなかった指摘でその通りだと思った。とはいえ、最近では大企業に就職すれば必ず安泰という時代ではなくなってきたので、一企業に生涯を捧げるというキャリアも崩れつつあると思う。そうした社会変化から、ジェンダー観も少しずつ変わっていくのではないだろうかと期待する。

さて、今回の主題は「カテゴライズ」だけど、これについて疑問に感じた理由は2つある。

一つは、引き続きジェンダーについての議論で、男女というカテゴリーでパターン化して考えてしまいがちだと感じたこと。ジェンダー問題は世界中の人全員が当事者だから、事実と感情を混ぜて議論してしまうことが多いのがその原因なのではないか。

とはいえ私自身、気を付けているつもりでも「男の人って本当にそういうとこあるよね」とか「女子が集まれば恋バナばっかだよ」とか、ついカテゴライズした言い方をしてしまうことがある。自分は性別によって一般化されることが嫌なくせにって思うけど、根付いた思想はなかなか消えない。

でも、そのうちのどれくらいが事実なんだろう?と、ふと疑問に思った。

例えば、男性に比べて女性の方が言語化能力が高いだとか、男性の方が地図をよんだり空間認識能力が高いだとか、我々が昔から当然のように刷り込まれている「科学的性差」って本当にあるのかなあと。

なんか脳の構造に男女差があるって聞いた気もするけど、実は思い込みでプラシーボ効果だっていう話も聞いたような…。そう思ってググってみた。

男女-脳の違い-Google-検索

すると…出てくるいわゆる「男脳」「女脳」

これらのサイトを見るに脳医学にも脳の性差という研究分野が確立しているらしく、

・男性の方が左右の脳の連携がよくないので、女性の方がマルチタスク

・女性の方が話しているとき脳のいろんな部分を使っており、言語能力が発達した

・男性は狩りのために空間認知能力を発達させた

等の情報が、脳神経外科医の書いたクリニックのコラムなどにも書いてあった。

なんだ…結局脳の性差は科学的に証明されているのか。と思いながら記事を見ていたら、気になる記事があった。

それがこれ。

NATIONALGEOGRAPHICの「研究室に行ってみた。」というコラムシリーズの一つで、東京大学で脳の活動を研究している四本裕子先生にインタビューしたものだ。

吉本さんは冒頭で、脳の性差は神話のようなものだと結論する。

「間違った心理学で、男性がこう、女性がこうとか、世の中ではよく言われていますね。例えば、男女の脳の違いとして、男性の方が左右の脳の連携がよくないとか。これには、元になった論文がありまして、1982年に『サイエンス』誌で発表されています(※)。男女それぞれ、脳梁の太さを測ったら、女性のほうが太かったと。でも、この論文のデータは男性9人、女性5人からしかとってないんです。それだけで、女性のほうが左右の脳の連絡がよくできてるっていう結果にしている。そもそも信頼性がないし、その後、いろいろな研究者が再現しようとしたんだけど、結局できてません。今さすがにこれを信じている脳科学者はあんまりいないんですよ」
(インタビューより)

しかし、だからといって脳の性差が全くないと思っているわけではないという。実際、脳内部での84か所つながりの統計を取ることで、AIが92%の確率で男女を見分けられるようなデータは取れたようだ。

ただ、そこからすぐに神話的な結論が導き出せるわけではない。

現時点で分かっているのは、ただ男女の脳に違いは存在するということだけである。

科学は、あることよりないことを証明するのが難しい。だから、皆が納得できて理解できる結論に短絡的に結びつけてしまいがちだ。

男女脳のカテゴライズはそうして生まれた。だが、本当にそれでいいのだろうか。カテゴライズしてしまえば楽だし快適だけど、結果として真実から目を逸らさせてしまっているのではないだろうか。長らく地動説が信じられなかったのも、人々が自分の信じたいものを信じてしまいがちだからではないか。

これを形として実感できたのが、TVアニメ「進撃の巨人」だ。(ネタバレ注意)

戦争が世代をまたぐにつれ、相手を「敵」というカテゴリーでしか見ることができなくなる。人種を理由に悪魔だと罵る場面などは、思考停止したカテゴライズだと感じた。ただ、徐々に相手も生きた人間だということを、コミュニケーションを取る中で実感し始める姿は希望を持たせてくれた。

人間は誰一人として同じではない。

確かに、それぞれを性別や国籍、生まれ、年齢などのカテゴリーで見ることは相手へ配慮する際には大切だ。だが、そのフィルターが我々を思考停止に陥らせ、相手を独立した個人として見ることを妨げてしまうこともある。

私も日々、なるべく人や物事をカテゴライズしてみないようには気を付けている。知らないうちにそのカテゴライズは、他人を傷つけることもある。だが、無意識のうちについ決めつけてかかってしまい、反省することがしょっちゅうある。

楽な方に流されず、毎回頭で考えて判断するのは意外と大変で面倒なことだ。けれど、一人一人平等な生を実感できる世界にするには、この意識が大切なのではないだろうか。

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