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「へんてこ」な私に、できること

私は小さい頃から「変だよね」と言われ続けてきた。
一体どうしてそう言われるのか、はたまた自分の何が変なのか、幼い時ほど理解ができずに苦しんだ。なぜならば私自身は驚くほど真面目だったし、誰よりもまっすぐに生きているつもりだったからだ。
大人になればなるほどにわかったのは、これらを掛け合わせ、真面目であればあるほどディープな変態とみなされてしまうことにも気がついた。オタク気質というかマニア気質というか。純粋であればあるほど、ね。

「変だよね」と言われていた私は、「変」=「不真面目」「不思議」「ふわふわしている」といったキーワードと関連づけられると勝手に思い込んでいたので、もっとしっかりしなければ、きちんとしなければ、ちゃんとしなければ・・・といった強迫観念とともに歳を重ねることとなった。
結果的にこれでも常識的な人間に育ったとは思うし(人として)、しかしながらこれらの強迫観念と長年過ごしたゆえ、私は「しっかり、ちゃんとした変な人」になってしまった。どーん!!オーマイガ。

こんな私だけど、とにかく自信を持って言えることは。まっすぐ生きてきた。ということ。
多趣味ではあるけれど、何が好き?何が特に好き?
私の気質を活かしたことがしたい。ずっとそれについて考えてられること?狂ったように時間やお金を掛けたこと?そんなに特別なことじゃなくていい、もっと、なんていうか日常的なことに着目していい気がする。

と、なるとファッションなのかなあ、と思う。
お洋服が好きで好きで、今までもたくさんのお洋服を買ってきた。たくさんのジャンルのファッションに手を出してきたし、それなりに自分なりの哲学や美学もあると思っている。装いについて思いを馳せることも日常茶飯事だ。インスタでもファッション系のアカウントはよく見ている。

別に私は特別にオシャレとかではないかもしれないけれど、情熱はある。夢中になってきただけの熱量と思いがある。

思い返せば、私は人の目を気にしすぎて生きてきたんじゃないかなと思う。
人に変な風に思われたくないとか言われたくないとか。
でも、気がついたのが、どうやっても私の「変」は隠せないみたいだ。ということ。
なるべく目立たないように、目立たないように、としても言う人は言ってくるし、避けて通れない道のよう。自分を抑圧しようがしまいが結果が変わらないのなら、盛大に、等身大の自分自身を表現することに命を燃やすのもいいんじゃないか。そう思ってきた。

自分をもう抑えたくない。窮屈に感じたくない。もっとできることがあるような気がするし、可能性を信じたい。ちゃんと、信じて行動したい。

ファッションは一番身近な自己表現のツール。
そして最近の私のテーマは「日常」「コミュニケーション」「明るく楽しく軽やかに」。こんなキーワードをぼんやり携えながら、まずはnoteやSNSで発信してみようかなと思っている。

コラム形式でファッションに関することを、日常というフィールドに寄り添いながら書いてみようと思う。それを読んだ誰かが、もしクスッと笑ってくれたり、おもしろいって思ってくれたら、そんな嬉しいことはないよね。

私が「へんてこ」な自分を、ファッションを通してポップに明るく発信することで、私みたいに生きづらさを抱えている皆が自信を持って楽しく生きられるといいなあ、なんて。

そしてもし、応援したいって思ってくださる方がいらっしゃいましたら。
ぜひぜひ、なまあたたか〜い目で見守って頂けますと幸いです。サポート機能やスキのリアクション、大変励みになります!!私の人生まだまだ!これからだ!むん!!!!

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