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夜の世界を経て

私は高校が定時制(夜間)だったこともあり、この頃から夜遊びをするようになった。それは家に帰りたくないとか友達や外の世界の人達と一緒にいたいとか様々な理由があってのことだったけれど、これらに付随した漠然とした寂しさや不安を紛らわすのに「夜」は実に魅力的な世界だった。

不思議なことに、もはや偶然というか、うっかり私は多摩美術大学の夜間部(今はなき造形表現学部 映像演劇学科)に入学することに。
高校の頃から昼間はバイトし夜は学校という生活だったので、そのままの生活スタイルを続けながら毎日忙しなくしていた。

二十歳を過ぎた頃から交友関係上「お酒の場」に立ち入ることも増え、学年が上がると履修科目も少なくなり、夜の時間に少し余裕ができた。その頃は金銭的に困ったこともあり考えに考えた末、腹を括って「短時間でお金を稼げる仕事」としてホステスのバイトを始めた。

今思えばこれは大きな決断で、私にとって大事な「きっかけ」だったのだと思う。
元々コミュニケーション力がなかった、というかコミュ障だと思っていたし、人と話すのも怖かった。そんな私だったけどホステス→キャバ嬢→バーテンダーと仕事をする過程で、どんどん水商売のおもしろさ、正確には「コミュニケーションのおもしろさ」に気がついていった。

大学を卒業してからはバーレスクダンサーとしての活動も始め、一時期は映画館スタッフのバイトと二足の草鞋で生活していた。ここでも「コミュニケーションのおもしろさ」に気がつく機会を多く得た。

16歳頃から最近まで、ずーっと「夜」の世界を中心に生活してきた。仕事も、交友関係も、すべてが夜の世界を中心に回っていた。
それは大変に魅惑的で刺激的なものだった。



昨年末頃から、蓄積なのか、無気力になってしまいベッドからほとんど起き上がれなくなってしまった。毎日泣くことしかできず、仕事にも行けない日々が続いた。そんな自分を責めたし自己嫌悪がひどく状態は悪化するばかりだった。自分でもやばいな、とは思ったものの、本当に何にもできなくなってしまった。

ある意味強制的に「夜」の世界と距離を置くことになった。そのままその仕事は辞め、無気力さとともに毎日過ごすことになった。

夜の世界と距離を置き、ほとんどの時間を家で過ごすようになった。ひとりの時間が圧倒的に増えた。
私は自身が頑張りすぎたこと、抱えすぎたこと、労わることもできず突っ走ってしまったことなどを反省し「できるだけ休むこと」に決めた。そして今まで人に会いすぎていたことにも気がついた。それからは、

・できるだけ、ゆっくりひとりの時間を過ごす
・人に会いすぎない。本当に会いたい人にだけ会う
・何が大切で / 何が必要で / 何が不必要かを明確にする&実行していく

というルール...というか、そんな堅苦しいものでなく、ただ自分を大切にしたい、時間を大切にしたいという心の声の元、これらを決めた。

当たり前のことかもしれない、でも今までの私は忙殺されていて、こんなにもシンプルなことにも気がつけなかった。自分にたくさんごめんねと謝って、よく頑張ってきたね、ありがとうと言い、これからいっぱい抱きしめて生きるねと誓った。

夜の世界は大変に魅惑的で刺激的。
毎日が嵐のようだし、たくさんの欲望も夢もお金も渦巻いている。

ある人が言っていた言葉を思い出す。

「この街には快楽はあるけど幸せはない」と。

おもしろい言葉だなと思う。



今の私は、というと。
今までのことは全く後悔していない。
すべてが必要な経験、体験だったと感じている。夜の世界を必要としていた。それだけだ。

そのおかげで私は「コミュニケーション力」を手に入れたし、話すこと・喋ることが今ではとてもおもしろく楽しく感じている。
そして文章を書くことの楽しさに気づかせてくれたのも、これらの過程があったからこそ。
(以前に私はnoteで「夜のエッセイ」を綴っていました。ご興味ある方はそちらもぜひ読んでいただけますと嬉しいです!)

言葉の力に気づかせてくれたのは、夜の世界があったからこそ。

さて、言葉という武器を私は手に入れました。ここから次はどんな世界に行こうかな?と、わくわくしています。

言葉を扱う仕事がしてみたいと思っています。有難いことに少しずつ叶っていて、YouTube等で対談などお話する機会を頂いています。
ここからどんどん拡げていきたい!
文章を書く仕事もしたい。コラムやエッセイの連載をしてみたい。ラジオに出演もしてみたい。

言葉とともに、自由に、踊るように遊ぶように。そんな風に生きていきたいなと思っています。

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