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「ライター」と名乗った日、私はライターになった<うつわ好きライター・きょうこさんインタビュー>

未経験だけど、「好きなことを仕事にしたい」「ライターになりたい」そう思いながらも一歩踏み出せない方は多いのではないでしょか。奈良にお住いの「うつわ好きライター」として活躍されているきょうこさんは、元々は東京で事務職をされていました。うつわとの出会いをきっかけに、ライターとして文章を書きはじめたきょうこさん。色々話を伺うと、そこには「好きなこと」を見つけ、仕事にしていくためのヒントがありました。

ライター・きょうこ

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2019年に東京から奈良に移住。うつわにハマり、noteで陶芸家さんにインタビューをしています。暦生活(@543life)で連載中。あんこ好き。特に豆大福ラブ。うつわ屋オープンへ向けてただいま準備中。畑1年生。今はいもやねぎ、にんにく、いちご、ほうれんそうを育てています。

「うつわ」との出会いをきっかけに、
事務職からライターへ。

私は神奈川県出身で、社会人になってからは東京で働いていたのですが、2019年10月に仕事でご縁をいただき、奈良県へ移住しました。2022年1月現在は、フリーランスのライターとして活動しています。中でも一番のライフワークが、「陶芸家さんへのインタビュー」です。気になった陶芸家さんに会いに行き、話を聞いてnoteに記事をアップしています。2年ほど前から不定期で続けているのですが、そこでの出会いや学びが大きなきっかけとなり、最近、「奈良でうつわ屋さんをやりたい」という目標ができたので、オープンへ向けて少しずつ準備をしています。

私がライターとして本格的に活動しはじめたのは、インタビューをはじめたちょうど2年前からでした。元々は東京で事務職をしていたのですが、30代前半で「作家もののうつわ」に出会いました。もともと料理が好きで、作家もののうつわを使うのに憧れを持っていたというのが大きかったのかもしれません。そこから、個展へ行き実際にうつわをつくった陶芸家さんと話をする中で、だんだんとうつわに「体温」のようなものを感じるようになりました。

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うつわには、陶芸家さんそれぞれが持っている心のようなものが宿るのではないか。
「もの」が生まれる背景には、「人」がいる。

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だんだんとうつわの見え方が変わり思い入れが強くなると同時に、「伝えたい」と思うようになりました。私の目からみるうつわの魅力、陶芸家さんの想いを、友だちにすすめるような感覚で伝えることができたらいいなと思うようになりました。
そんな気持ちから、昔なりたいと思っていた「ライター」を志すことを決めたのです。

「ライター」と名乗ってから広がった世界。

しかし、実際ライターをやりたいと思っても何からはじめたらいいかわかりませんでした。そんなときに道しるべとなってくれたのが、クリエイティブディレクターの西島知宏さんが主催する「明日のライターゼミ」でした。毎回色々な講師がきて学ぶ場だったのですが、そこでたくさんのライターさんに出会い、刺激をもらいました。当時の私はライターの学校に入ったものの仕事は事務職で、ツイッターやnoteなどのSNSは全くやっていませんでした。ですが、周りのみんなは会社に所属しながら、ライターなど個人の肩書きをもって生き生きと発信していました。そんな姿をみて、ただひたすらに「すごいなぁ」「私もいつかみんなのようになりたい」と思いながら、ツイッターやnoteを少しずつ始めていきました。

そうしてあるとき、ある編集者さんが私のツイッターのプロフィール文を見て「肩書きを変えてみたらどう?」とアドバイスをしてくれました。当時、私はプロフィールに「事務職」と書いていたのですが、もうnoteで文章を書きはじめているんだし、ライターと名乗ってみたらどうか、そう言ってくれたのです。
ただ、当時の私にとってライターとは、「バリバリ書いて仕事として成立している人だけが名乗れるもの」という固定観念がありました。私はまだその域にいっていない。だから、ライターなんて名乗るのはとてもとても自信がないし、恥ずかしい。ずっとそう思っていました。

ただ、そんな私に編集者さんはこう言ってくれました。

「これからあなたが理想とするあり方が、 ”事務職” の延長線上にないなら、”ライター”にしたほうがいいと思います。いつかと言わず、いま名乗ってしまって、そこへ向けて活動していくのもアリかなと思います」

アドバイスを受けて、私はプロフィールを「事務職」から「ライター」へ変えました。そうすると、不思議と自覚が生まれて、ワクワクしてきました。私はこれからどんなことを書いていこうか、どんな出会いが待っているのだろう。たった4文字の言葉が、グズグズしていた道のりをパーっとあかるく照らしてくれたようでした。

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それから私は今、ありがたいことにライターとして色んな陶芸家さんにインタビューをしたり、メディアの連載やお仕事をいただくようになりました。いま振り返ってみると、あのとき思い切って肩書きを変えてみて本当によかったなぁと思います。

私の居場所をつくってくれたもの

私がうつわ好きになったのは、東京で働いていた頃に出会ったお店、「器MOTO」さんがきっかけでした。
インターネットで見つけたのですが、写真からでも伝わる素敵な雰囲気に惹かれて行くようになりました。

ただ、当時の私は、どんよりと暗い気持ちで日々を過ごしていました。年齢も30代にさしかかり、周りの友人たちを見渡すとみんな「家族」を持っている。かといって、没頭できる趣味や特技など誇れるものがない。これから何を楽しみに、私は生きていくのだろう。急にひとりぼっちになってしまった気持ちになり、今まで出会ったことのないような種類の「孤独」を感じました。外に出ても無駄に傷つくことが増え、だんだんと人と会うのも億劫になり、家で過ごす時間が多くなりました。
そんなときに出会ったのが、近所にあった器MOTOさんでした。器MOTOは、東京都千歳船橋の住宅街にある、70代の女性店主が一人できりもりしているうつわ屋さんです。初めてお店のドアをあけたときから、あたたかい、時間が止まったような心地よさがありました。それから、ここで1枚のうつわを買ったことをきっかけに、休みのたびに通って少しずつ集めるようになりました。だんだん店主とも仲良くなり、行くたびにお茶を飲みながらうつわのことや、お互いのことなど色んな話をしました。いま思えばそこに、自分が嫌だなと思うことに真正面から向き合わなくてもいいという、どっぷりとした安心感のようなものを感じていたのだと思います。

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残念ながら、器MOTOさんは2021年末に閉店してしまったのですが、ここで過ごした時間は奈良にきてからもずっと私の中に流れています。そうして勝手ながら、私は器MOTOさんから「バトン」を受け取った気持ちでいます。私が感じた心地よさを、奈良でもつくりたい。そんな気持ちから自然と、うつわ屋さんをはじめることを決めました。

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会社員やフリーランスの枠を超えて、
大切にしたいこと。

今は会社員時代の貯金とライターのお仕事で生計をたてながら、お店の準備を進めています。収入の面では会社員時代の方が安定していましたし、それなりに楽しいことも大変なこともたくさんあり、充実していました。
ただ、奈良にきてからだんだんと「自分」のことが分かってくるようになりました。私はいったい何が好きで、何に心地よさを感じる人で、これからいったい何がしたいのだろう。自分のなかに眠っていた本能のようなものがグルグルと動くようになり、働き方も変えて、いまはフリーランスの道を選びました。

よく、「会社員時代の方がよかったんじゃない?」とか「フリーランスってすごいね」「大変そう」とか言われることが多いのですが、どちらも経験してきた私が思うのは、どちらがいいとか悪いとかではなく、「自分がどうありたいか」が大切ではないか、と思うんです。
会社名ではなく、役職でもなく、丸裸にしたときの「自分」はこれでいいのか。
どんな状況であれ、できるかぎり自分に嘘をつかず、納得して向き合えているかどうか。

今までの私の経験から、そうして選んだことって、何があっても責任は「自分」にあるので、結局後悔しなかったなぁと思います。そこでがんばってみて、だめならまた次へ行けばいい。一つひとつのことを、「置きにいく」気持ちで向き合えるかどうか。それが、好きなことを見つけるヒントにも繋がるし、「自分」が熟成されていくのではないか、と思います。

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最後に一つ、数年前の自分に伝えたいことがあります。
もし今、小さくても大きくても「やりたいこと」があるなら、お守りのように大事にあたためてほしいということです。今すぐに向き合えない状況でもその心は静かに生きていて、開くときがきっとくる。そう信じていると、目の前の世界が少しずつ変わっていくかもしれないですし、その先にまた別のおたのしみが待っているかもしれません。

私もまだまだ縁をいただいたこの場所で、少しずつ想いや関係性を育てて生きたいなと思います。

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