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私が手を振る理由

電車の中、公園のベンチ、ごはん屋さんの席、テーマパークの待ち列ーー目の前に小さな子どもがいると、つい手を振ってしまう。これは私のクセみたいなもので、別に「手を振りかえしてほしい」とは、特に思ってはいない。

でも、たまに手を振りかえしてくれたり、照れながら喜んでくれる子がいる。そういうときは、その子が飽きるまで手を振ったり、ジェスチャーを送り続けるようにしている。なんというか、そういう何気ない時間が、その子にとってふと思い出す暖かい記憶になるような気がしているのだ。

なぜか忘れられない遠い記憶

私にも、手を振ってもらった暖かい記憶がある。

小学生の頃、父は休日に車でいろんなところに連れていってくれた。その日は、同級生の友だちと私と父の3人で、大きめの総合公園に遊びに行き、帰りにマクドナルドではやめの夜ご飯を食べるというプランだった。

マクドナルドからの帰り道、信号が連なる1本道で、ちょっとした渋滞にはまった。「暇だな」と後部座席から後ろの車を見てみると、そこにはお兄さんとお姉さんが乗っていた。おそらくカップルだろうか。運転席のお兄さんに、お姉さんが楽しそうに話しかけている。

「ねぇねぇ、手を振ってみたら気づくかな」そう言い出したのは、私だったような気がする。車がちっとも動かないなか、私たちはなんとなくお兄さんとお姉さんに手を振ってみることに決めた。

しばらく手を振り続けていると、お姉さんが私たちに気づいて手を振りかえしてくれた。それに続いてお兄さんも私たちに気づき、手を振りかえしてくれる。

「気づいてくれた!」嬉しくなった私たちは、そこから車が止まるたびに、後ろを向いては手を振り続けた。お兄さんとお姉さんは、そのたびに笑いながら手を振りかえしてくれた。

途中、私は「手を振るばかりじゃ飽きるかな」という謎の気遣いで、変顔をしてみることにした。私の自信作の変顔を受けたお兄さんは、負けじと全力の変顔を返してくる。

お兄さんの顔が面白くて面白くて、私たちはキャッキャと笑った。助手席のお姉さんもそのやりとりを見て、すごく笑っていた。そんなやりとりを、渋滞を抜けるまで、お互いにずっと続けていた。

今思えば、私たちはかなりしつこかったと思う。私たちのせいで、会話もまともにできなかっただろうし、お兄さんとお姉さんも内心「面倒だな」と思っていたかもしれない。

でも当時の私は、声こそ聞こえないものの、お兄さんとお姉さんと手を振り合うことで、友達になれたような気がして嬉しかった。渋滞を抜けて、お兄さんとお姉さんとバイバイするとき、友達とお別れするときの寂しさを感じるくらい。束の間だったけれど、私にとっては特別で幸せな時間だった。

思い出して幸せになる記憶を作りたい

あれから、もう20年以上が経つ。お兄さんとお姉さんの顔はもう覚えていない。でもこの記憶はなぜかずっと覚えていて、ふと思い出しては暖かい気持ちになる。

たかが手を振り合った思い出。寝たら忘れてしまうような些細な出来事。でも、そんな些細な出来事が、人を幸せな気持ちにさせてくれるんだなと思う。だから私も目の前の子どもに、大人になってもふと思い出すような、暖かい記憶を作ってあげたい。

子どもと手を振り合うたび、「私もあのときのお兄さんとお姉さんみたいになれているかな」と、たまに思う。

お兄さんとお姉さん、今頃どうしているかな。

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