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緊張を解く魔法と温かい記憶

今朝、布団でゴロゴロして、ふと時計を見ると13時だった。すでに、お昼どきとしては遅い時間。「今からご飯を作るのは面倒だから」と、顔を洗って、服を着替えて、近所のマクドナルドに出かけた。

マクドナルドからの帰り道、近くの大学から大量の高校生が出てきた。どうやら今日は、大学受験の日だったようだ。大学前の交差点では、警備員が「試験会場」と書いた紙を、頭上に高らかに掲げている。

「大学受験かぁ。懐かしいなぁ」と思いながら、スーパーの方向に足を進める。そういえば、私が受験したのはちょうど10年前。そりゃ、懐かしくもなるはずだ。

スーパーで買い物が終わり、暇つぶしに本屋に向かうと、制服を着た高校生とその両親が買い物をしていた。おそらく受験終わりの高校生を、両親が迎えにきて、そのついでに買い物に来たのだろう。高校生はプレッシャーから解放されたかのように、軽やかに店内を歩いていて、親も安心したよう顔をしていた。

その様子を見たとき、ものすごく温かくて懐かしいなにかが、こみ上げてくる感覚がした。自分の学生時代を思い出す。

高校3年生の頃、私は毎日受験勉強をしていた。朝は単語帳を読みながら通学して、学校終わりは塾に行って、家に帰ったら古語辞典を読みながらお風呂に入る。そんな生活を、受験本番まで続けていた。

今思えば、かなり頑張っていたなと思うが、当時はまったくそう思わなかった。むしろ秀才でもない自分は、そこまでしないと志望校に受からない気がしていたし、「本当に受かるだろうか」という不安を払拭するためにも、勉強していた方が楽だった。

そうして迎えた受験当日。志望校の受験日程は、全学部日程と個別学部日程を合わせて全4日あり、私はすべての日程に出願していた。

受験というのは意地悪だ。どんなに勉強していても、塾講師でも頭を悩ませるほどの難問や、資料集の端に小さく載っているような問題が、来る日も来る日も出題される。おまけに「絶対に受からなきゃ」というプレッシャーが、普段なら簡単に解けるような問題も難解にした。おかげさまで、どの日程も手応えは感じなかった。

受験会場からの帰り道、全日程とも自宅近くの最寄り駅まで母が迎えに来てくれた。受験会場の最寄り駅から母の待つ自宅の最寄り駅まで、ひとり電車で揺られる。気を抜くと、不安で心がいっぱいになりそうで、電車の中では好きなアーティストの曲を無心で聴き漁った。

最寄りの駅について、母の車を見つける。車のドアを開けると、中から暖房の熱気と、母の「おかえり」の声が一気に私の体を包み込んだ。その瞬間、さっきまでの緊張が一気に解けて、ホッとしたのを今でも覚えている。

何かをやり切った後、両親と話すだけで心がほぐれるのはなぜだろう。思えばピアノの発表会の後も、ダンスの舞台の後も、父や母と話すだけで、緊張から一気に解放されたものだ。

本屋で出会った親子を見て、ふとそんな温かい記憶を思い出す。

あの高校生の身軽なステップも、両親の緊張を解く魔法によって、受験の緊張から解放された印なのかもしれない。

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