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【解説】クーン・ローブ商会とジェイコブ・シフ

こんにちは。いつもお越しくださる方も、初めての方もご訪問ありがとうございます。

今回はクーン・ローブ商会とジェイコブ・シフの動画を作成しましたの、その動画の紹介になります。もしかすると事実に反する内容もあるかもしれませんので、エンターテイメントだと思って、疑いの目をもってご視聴いただければ幸いです。

クーン・ローブ商会とジェイコブ・シフ

はじめに

みなさんこんにちは。

今回は、ジェイコブ・シフとクーン・ローブ商会について見ていきたいと思います。

――クーン・ローブ商会というと、日露戦争のときに、日本の戦時国債を購入したことで知られていますよね。

そうなんですよ。

当時、世界のどの銀行も、アジアの小国だった日本の国債を購入してくれませんでした。

そんななか、クーン・ローブ商会のジェイコブ・シフが、日本に融資することを決定したんです。

日本のみならず、ロシアとアメリカの歴史を読み解くうえでも、知っておく必要がある人物なのではないかと思います。

ジェイコブ・シフ

それでは、ジェイコブ・シフの生い立ちから見ていきましょう。

ジェイコブ・シフは1847年に、ドイツのフランクフルトで生まれました。

シフ家はユダヤ教のラビをつとめる家系で、先祖の一人はイギリスのロンドンシナゴーグの代表的なラビだったとされています。

ジェイコブ・シフの父、モーゼス・シフは、ロスチャイルド家の取引を代行するブローカーだったとされています。

――シフ家は、陰謀論でもしばしば取り上げられる、ロスチャイルド家と深い結びつきがあったんですね。

シフは、フランクフルトで教育を受け、1861年には銀行の見習いとして働き始めました。

アメリカで南北戦争が集結した1865年に、ニューヨークに渡り、ブローカーの仕事を始め、稼業を手伝うようになります。

1870年頃に、シフはアメリカに帰化したと言われています。

また、1870年に、ドイツ・アメリカ銀行、後のコンティネンタル銀行を、銀行家仲間と共同創設しています。

しかし、アメリカでの仕事が上手くいかなかったため、ドイツに帰国し、ハンブルクの銀行の支店長として働くことになりました。

やがて、頼りとしていた父親のモーゼスが亡くなり、フランクフルトに戻ったシフは、クーン・ローブ商会のエイブラハム・クーンに誘われて、再びニューヨークに戻り、クーン・ローブ商会に入社しました。

入社後まもなく、シフは銀行の運営を実質的に取り仕切ることになります。

――シフがこれまでに、アメリカとドイツで積み上げた経験が認められたんですね。

クーン・ローブ商会

それではクーン・ローブ商会について見ていきましょう。

クーン・ローブ商会は1867年に義理の兄弟であるエイブラハム・クーンと、ソロモン・ローブがアメリカで創設した銀行です。

――クーン・ローブ商会は、創設者のエイブラハム・クーンと、ソロモン・ローブの名前からきているんですね。

彼らははじめ、オハイオ州のシンシナティでビジネスを成功させましたが、急成長するアメリカで更なる成功を収めるために、ニューヨークに移ることを決めました。

1875年にジェイコブ・シフが入社、シフはイギリスのユダヤ人銀行家、アーネスト・カッセル卿や、スコットランドの銀行家、ロバート・フレミング、パリ銀行のエドゥアール・ノエツリンとの繋がりを、クーン・ローブ商会にもたらしました。

――彼が入社まもなく会社を切り盛りするようになったのは、その人脈によるところも大きかったんですね。

シフはソロモン・ローブの娘、テレーズ・ローブと結婚し、息子のモーティマ・ローブ・シフと、娘のフリーダ・シフの2人の子供を授かりました。

後に、娘のフリーダは、ウォーバーグ家のフェリックス・ウォーバーグと結婚しています。

ちなみに、フェリックスの兄であるポール・ウォーバーグは、ソロモン・ローブの娘で、テレーズ・ローブの妹である、ニナ・ローブと結婚しています。

ポール・ウォーバーグは、アメリカの現在の中央銀行システム、連邦準備制度の創設を最初に提唱した一人で、ネルソン・オルドリッチ上院議員と共に、その設立のために奔走しました。

話を戻しますが、シフは1885年にクーン・ローブ商会の代表に就任します。
シフは東部の鉄道事業や、銅の採掘・精錬・精製を行っていたアザルコ社、電力会社のウェスティングハウス・エレクトリック・カンパニーなどに融資を行っていきました。

また、鉄道王として知られるエドワード・ハリマンと協力して、カナダ系アメリカ人で実業家のジェームズ・ヒルや、銀行家のジョン・ピアポント・モルガンと、西部の鉄道の経営権を巡って争ったことも有名です。

シフは、シティバンクやウェスタン・ユニオン社、ユニオン・パシフィック鉄道など、多くの大企業の取締役をつとめました。

義理の弟であるポール・ウォーバーグが、連邦準備制度理事会の委員に任命されると、彼がそれまでつとめていた、金融機関、ウェルズ・ファーゴの取締役にも就任しています。

――シフはクーン・ローブ商会の会長という役割にとどまらず、広くアメリカ国内の大きな事業の決定権を握っていたんですね。

そのとおりです。

その結果、シフは、クーン・ローブ商会を、JPモルガンに次いで、アメリカで2番目に権威ある投資銀行へと成長させました。

日本などへの融資

それではシフが国家に融資してきた活動を見ていきましょう。

シフの金融活動で最も有名なのは、1904年にはじまった日露戦争のときのものです。

――シフが日露戦争時の日本に融資した話ですね。

1904年4月、シフはパリで、日本銀行副総裁、高橋是清と接触しました。

シフは、クーン・ローブ商会を通じて、大日本帝国に2億ドルの融資を行いました。

この融資は、ウォール街による最初の大規模な日本国債発行でした。

クーン・ローブ商会は日本の戦争に必要な戦費のおよそ半分を提供しました。

シフは、戦争に勝利するには、軍事費は、日本国民の努力や願望ほどには重要だとは考えていませんでした。

また、近代的な全面戦争で、ヨーロッパの大国が、ヨーロッパではない国に負けたことがないことも、当然理解していました。

――シフは必ずしも、日本がロシアに勝利するとは思っていなかったのかもしれませんね。

シフが融資を行った背景には次のような考えがありました。

当時、ロシア帝国で反ユダヤ主義的な活動が行われていました。

特に1903年に、現在のモルドバの首都、キシナウで起こったユダヤ人に対する大虐殺が起こっています。

シフは東欧のユダヤ人に代わって、日本がロシアに一撃を加えるだろうと期待していました。

みなさんご存じの通り、シフの融資は実を結び、日本がロシアに勝利しました。

この融資は世界的に注目されましたが、それは当時、誰も日本がロシアに勝利するとは思っていなかった点があったと思います。

日本はシフに瑞宝章を授与し、1907年には、勲二等、旭日重光章を授与しています。

シフは、外国人として初めて明治天皇から直々に、勲章を授与されました。

――明治政府がどれほどシフに感謝していたかが分かりますね。

シフは日本以外にも多くの国に融資を行っています。

第一次世界大戦中、シフはウッドロウ・ウィルソン大統領をはじめとする連合国の政治家たちに、一刻も早く戦争を終わらせるように働きかけました。

――シフには、アメリカだけでなく、ドイツにも家族がいましたから、シフの働きかけは、当然と言えば当然なのかもしれませんね。

シフは、融資した資金が、ユダヤ人を虐げてきたロシア帝国には一切渡らないようにしました。

1917年にロシア帝国が崩壊し、シフはユダヤ人への抑圧が終わると考え、ロシアへの融資を禁止する社内規約を撤廃しました。

アメリカの外交官、ジョージ・ケナンは、シフが日露戦争と、1905年の革命の際に、イギリスとアメリカの政治活動団体、ロシア自由友の会を通じて、革命派のプロパガンダに資金援助していたと指摘しています。

しかし、レーニンによる共産主義政権が成立すると、シフはスタンスを変えます。

シフは共産主義には共感しませんでしたが、ロシアのユダヤ人たちが、ドイツとの戦いを続けるように訴える活動には参加しました。

――これってどういう意味なんですか?

当時、ロシア帝国を打倒した共産主義政権には、ユダヤ人活動家が多くいました。

この点についての詳細を論じると長くなりますので、また別の機会に説明できればと思います。

慈善活動とその後の活動

それではシフの慈善活動と晩年について説明したいと思います。

シフは常にユダヤ人とのつながりを強く意識していました。

ニューヨークに移民してきたユダヤ人が、アメリカ西部で生活できるように事務所を創設しました。

また、テキサスを通じて、アメリカに移民を入国させる拠点を作っています。

ロシアのユダヤ人迫害の犠牲者を救済する活動を支援し、ユダヤ人の主要な活動のほぼ全てに寄付を行っていたと言われています。

また、ニューヨークの動物園協会の理事をつとめ、博物館、美術館、アメリカ赤十字などにも寄付をしていたことが知られています。

――ユダヤ人コミュニティーばかりではなく、ニューヨークなどの様々な施設にも支援を行っていたんですね。

また、アメリカ・ユダヤ人委員会をはじめ、ユダヤ神学校、ニューヨーク公立図書館のユダヤ人部門の設立と発展に尽力しています。

シフは、改革派ユダヤ教を信仰しており、シオニズムを支持していました。
シオニズム活動家のテオドール・ヘルツルを、全面的に賛同していたわけではありませんでしたが、イスラエルのための多くのユダヤ人プロジェクトに寄付を行いました。

当時のアメリカのユダヤ人の中で、シフは最も精力的に、世界のユダヤ人コミュニティーを支援していたんですね。

シフが日露戦争で日本を支援したことで得た利益の多くも、イスラエル建国の礎として活用されたのかもしれませんね。

1920年、ニューヨーク・マンハッタンの自宅でシフは亡くなりました。
葬儀はマンハッタンの改革派のエマヌエル寺院で行われました。

シフの死後、クーン・ローブ商会は、息子のモーティマ・シフが引き継ぎました。

今回はジェイコブ・シフの生涯を通じてクーン・ローブ商会を見てきました。

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最後に

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